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19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆vol.25【唯美主義とは?前編-音楽との関わり-】

皆さん、こんにちは。
皆さんはコンサートやライブ、ミュージカル、演劇等、公演や舞台を見に行くことはお好きですか。
私は見に行くことが大好きですが、それ以上に参加することが好きです。
幼少期から楽器や歌を習っていたため、舞台に立つ機会が比較的多くありました。
そして最近初めて、別のカタチで舞台に参加する機会をいただきました。
カメラマンとしてライブ(新型コロナウイルス感染拡散防止のため、無観客ライブ)の撮影をさせていただいたのです。

ライブ撮影には、ほんのちょっとだけ興味がありましたが、実際に参加してみたらイメージしていたよりずっと楽しい!
演奏中はステージの照明の色も演者さんたちの動きもどんどん変わっていきます。
一期一会、逃したら二度と撮れないという緊張もありました。
でもそれ以上に「ここだ!」と思う一瞬をカメラに残せたときの嬉しさは想像を遥かに超えていました。

実際にやってみるって、大切ですね!



『黒と金色のノクターン』

私とは全然レベルが違いますが…19世紀後半のイギリスの絵画の世界でも、実際にやってみた人がいました。
何をやってみたかというと、「絵画を音楽に近づける」という試みです。
この絵画はその中で完成した作品のひとつです。

Nocturne in Black and Gold, the Falling Rocket, 1875
James Abbott McNeill Whistler
Detroit Institute of Arts
[画像引用元]https://de.wikipedia.org/wiki/Nocturne_in_Schwarz_und_Gold:_Die_fallende_Rakete#/media/Datei:Whistler-Nocturne_in_black_and_gold.jpg


こちらはデトロイト美術館が所蔵する、ホイッスラー作の『黒と金色のノクターン―落下する花火』(1875)という作品です。

19世紀後半のイギリスで活動していたアメリカ出身の画家ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー[James Abbott McNeill Whistler/1834-1903]は、絵画を音楽のように表現したい、と考えました。
そのためホイッスラーが作品タイトルに、ノクターン、シンフォニー、ハーモニーといった音楽用語をいれることも稀ではありませんでした。

ホイッスラーは今では傑作を多く生み出した画家として知られていますが、この作品が発表された時には酷評も受けました。
どんな時代でも新しい試みは大抵批判されるものです。

しかしながらこの絵画は、酷評に終わらず裁判沙汰にまでなった「問題作」なんです‼

『黒と金色のノクターン―落下する花火』を酷評したのは19世紀の美術評論家の権威者であるジョン・ラスキン。
美術界において、美術評論家であると同時に芸術家のパトロンでもあった彼の発言の影響力は圧倒的なものでした。

19世紀半ばにイギリスの伝統的且つ正統派である絵画の画法に異議を唱え、前衛的な絵画を描いたラファエル前派兄弟団(1848-1854)の画家たちも、美術界から多くの批判を浴びました。
しかしながらラスキンの擁護によって、ラファエル前派兄弟団(P.R.B)は活動を継続することができました。
さらにP.R.Bは、その後のイギリス絵画の新しい流れの源流という存在にもなりました。

このように、P.R.Bには優しいラスキンでしたが、ホイッスラーの作品に対しては
「こんなのは絵画じゃない!」
「絵具をキャンバスにぶちまけた詐欺作品だ!」
という主旨の誹謗中傷をしました。
ラスキンはホイッスラーの抽象的な作風を絵画として受け入れることができなかったのです。

怒ったホイッスラーは名誉棄損でラスキンを訴えました。
裁判で争われた結果、ホイッスラーが勝訴しました。

でも、怖いですね。
芸術の良し悪しの価値観は人それぞれです。
正解なんてありません。
それを、ラスキンという権威のある美術評論家が公に批判しちゃうなんて…。
人として、なんか…。
そりゃ、奥さんにも見捨てられますわ…。

絵画を音楽に近づける

そもそもホイッスラーはなぜ「絵画を音楽に近づける」ことを試みたのか?
それはホイッスラーが音楽を最も崇高な芸術として考え、絵画を音楽に近づけたいという思いを抱いていたからです。

実際のところ、唯美主義思想に影響を与えた文筆家ウォルター・ペイター(Walter Horatio Pater, 1839- 1894)が彼の著書『ルネサンス』(1873)で、「すべての芸術家は音楽の状態に憧れる」と述べたように、音楽という芸術に憧れた画家はホイッスラーだけではありませんでした。
ホイッスラーは彼自身の考えるやり方で、絵画に音楽的要素を取り入れた作品を生み出したのです。

では、先に挙げたホイッスラー作の絵画のどこに音楽的要素が見られるのでしょうか。
一言でいうと、「瞬間的に人の感情に訴える」といった点です。

「音楽」VS「絵画」

瞬間的に人の感情に訴えるとは、どういうことなのか。

音楽と絵画の間には、とても大きな違いがあります。
音楽は、聴覚情報を中心とします。
対して絵画は、視覚情報を中心とします。
絵画のみならず文学作品も彫刻作品も、音楽以外の芸術は「目に見える芸術」です。

目に見える芸術である絵画は、主題と手法が分離しています。
主題とは、物語やメッセージ性のことです。
手法とは、絵画様式や流派のことです。
この主題と手法によって、それぞれの画家の作風、つまり「〇〇らしさ」が醸し出されます。

主題と手法の組み合わせは自由です。
例えば「かじりかけのリンゴ」という作品があったとして、どんな仕上がりになるかは主題と手法の在り方によって十人十色です。

それゆえに絵画を鑑賞する際には、どんな物語だろう?どんな流派だろう?、さらには、この色使い綺麗だなあ、この衣装のラインってどうやって描いているんだろう?等、様々なことを考えます。
近づいたり遠ざかったりしながら、目で見て、感動したり感嘆したりします。

結果として、その作品が鑑賞者の心に響くまでにはある程度の時間を要します。

それに対し、音楽-クラシック―という「音で感じる芸術」は、主題=曲名によって必然的に手法(旋律、ハーモニー、リズム感、オーケストラの構成)などが選択されます。
主題が提示されると、特定の手法が自然についてきます。
曲名の中に、すでに物語性や情感、それを表す手法がすべて包括されているイメージです。

そのため鑑賞者の耳にはあらゆる構成要素が一体化した状態で、瞬間的に人の感情に訴えられるのです。

ホイッスラーと「色使い」

このように「耳で感じる芸術」と「目に見える芸術」は、鑑賞者の感情に訴える速度が全く異なります。

でもでも、ずっと形が目に見えたままの絵画の中に、聴いた瞬間に消えていく音楽という芸術を取り入れたい。
そういう思いを抱いていたホイッスラーは、絵画の中に音楽の持つ、瞬間的に人の感情に訴える方法を編み出しました。
それが、「色使い」でした。

『黒と金色のノクターン―落下する花火』では、金色によって花火が表されています。
花火に照らされた夜空は、黒を基調として、青みがかったような、灰色がかったような色の濃淡によってグラデーションが施されています。
夜の水際にいる人の姿や水際は、花火の明るさに照らされて金色味を帯びています。
花火の色が反射した水際には、人の影が黒っぽく映し出されています。

ホイッスラーは黒を基調としたグラデーションのなかに、対照的にキラキラした金色を差し色のようにいれることによって、金色を際立させました。

つまり、この作品を目にした際に、何よりも「色合い」が瞬間的に人の感情に訴えることを、音楽的だと考えたのです。
色合いが瞬間的に人の感情に訴える、とはどういうことなのか??
それは、美しい!という感情を、色によって真っ先に感じさせるということです。

「見た目=美しさ」、つまり目に見える芸術である絵画で、まずは色合いによって美しさを瞬時に感じさせることが、ホイッスラーにとっての音楽的絵画でした。

ここで、主題はどうなった??と思った方はいませんか。
本来、あるはずの、絵画にとって当然あるべき「物語性」は、ポイッと捨てられました。

『見た目の美しさ>>>>>>>>>>>>>>>>>>>主題』

主題よりも美しさの方が大切とされ、主題はなくても、あるいは霞んでも構わない。
こういった、それまでの前衛的なラファエル前派兄弟団さえも捨てなかった、伝統的で当たり前のように存在していた主題が重要視されない。
そのような考え方は「唯美主義」と呼ばれました。

唯美主義はホイッスラーのみならず、多くの画家、作家、建築家など様々な芸術分野、さらには日常生活の中にも浸透していくことになります。

次回は唯美主義についてもう少しお話を進めていきたいと思います。

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