19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ vol.17 【絵画の中の恋愛物語-前編】
皆さん、こんにちは。
外出自粛中に皆さんはどんなことを考え、過ごされましたか。
私自身は、自分にとって本当に好きな物事を改めて気付かされました。
この「非日常感」の中で、自然と笑顔にしてくれるものこそ、自分にとって大切な存在であることを改めて感じています。
普段は、漠然とやってみたいと思っていたことや悩みなどが頭の中を交錯していますが、そういった交錯が断捨離のように整理されていっている感じがします。
そして、やっぱり芸術って良いなとしみじみ感じています。
絵画の場合、画家は以前なら教会や宮廷のお抱えのオーダーされたものを忠実に作る「職人」でしたが、17世紀以後に「芸術家」が現れました。
「芸術家」は聖書や神話、史実や肖像画など、特定のテーマを自身の作風で描き、これは私の作品なんです!と自由にアピールできました。
ラファエル前派兄弟団に始まる19世紀後半のイギリスの画家らはさらに自由に絵画を描きました。
テーマは何でもOK、作風も自由、という感じに「表現の自由」をいち早く実践しました。
そのため、伝統を重んじる美術界からはバッシングの嵐でした。
しかしながら、そこに「ジョン・ラスキン」という救世主が現れました!!
当時の美術界の大物評論家として名声高く、彼がラファエル前派兄弟団の作品を支持したため、彼ら―ダンテ・ゲイブリル・ロゼッティ、ジョン・イヴァレット・ミレイ、ホルマン・ハント-はラファエル前派兄弟団として活動を続けることができました。
後に、彼ら3人は方向性の違いから解散してしまいましたが、それぞれに活躍し続けました。
中でも、イギリスの19世紀後半の一連の絵画の新しい在り方を導いたのはロゼッティでした。
ミレイもまたロゼッティとは違う方向性で絵画の新しい在り方を先導しました。
2人の作風は全然異なるので、作風に関して言えば、ロゼッティ派とミレイ派がいた、という感じでしょうか。
どちらの画家も大半の作品で美しい女性を描きましたが、ロゼッティの描く女性は骨格がしっかりしており、女性的でありながら、どこか男性的な力強さを感じます。
ミレイの作品の中の女性は、繊細で女性的な美しさが溢れている印象です。
因みに私はどちらの作品も大好きですが、どちらかといえばミレイ派です。
新しいテーマ -「個人的恋愛」ストーリー
イギリス絵画についていえば、19世紀半ばに、ラファエル前派兄弟団の画家たちが、それまでの伝統的な絵画の在り方に疑問を感じ、より自由な発想力を持って絵画を描きました。
つまり、当時の絵画の規範であった「ラファエロの作風」に従うことを拒み、「聖書」「神話」などの伝統的な主題だけでなく、より自由な主題を扱いました。
彼らの「新しい絵画」の在り方を源流とし、19世紀末までには、さらに自由な作風の絵画が生まれました。
画家自身が、個人的な恋愛模様をテーマに作品を描くことも稀ではありませんでした。
ところで、昨年2019年に開催された展覧会の中には、三菱一号館美術館で開催された「ラスキン生誕200年記念 ラファエル前派の軌跡」展をはじめ、ラファエル前派兄弟団やその関連画家の作品を扱ったものが例年より比較的多く、個人的にはとてもテンション上がりました。
同じ展覧会に3回以上足を運び、多くの作品を堪能しました。それまで図録や動画で見ていた作品にうっとりしながら鑑賞していましたが、大好きなミレイの作品の中で、「ちょっと珍しい作品だな。でもあまり惹かれないなあ。」とスルーした作品がありました。
人物が隅っこに小さく書かれた大自然の風景です。
『滝』というタイトルの絵画で、岩が絵画の半分以上を占めており、隅に描かれた女性の顔はあまりはっきり見えない。
どうしてミレイはこの絵画を描いたのかなあ、気紛れかなあ、なんてちょっと引っかかっていましたが、その絵画に描かれた「ストーリー」を知り、なるほど!!と納得しました。
ただただ穏やかな風景に思えた作品にはドロドロした恋愛物語が描かれていたのです(‘Д’)!!
こちらの絵画がミレイ作の『滝』です。
女王をも怒らせたスキャンダラスな「恋愛」
この絵画に描かれた女性は、ミレイが好きになった人でした。
比較的質素な色合いのファッションをした女性が真っ赤な布地で裁縫している姿、この「赤」は「愛」の象徴なのでしょうか。
この作品は、スコットランドの旅の途中で描かれたものです。
ある時、ラファエル前派兄弟団の恩人であり、ミレイとの親交も深かった著名な芸術評論家であるジョン・ラスキン[John Ruskin/1819 – 1900]は、ミレイに自分の肖像画を描いてほしいと依頼しました。それもスコットランドへ一緒に旅をしながら、です。その旅にはラスキンの妻であるエフィ・グレイ[Effie Gray/ 1828 –1897]も同行しました。その旅の途中で、ミレイとエフィは恋に落ちました。いわゆる「不倫」!!当時は、現代以上に「不倫」に対する不道徳感が強い社会であり、特に女性に対する倫理観を強く求めていた時代でした。
2人は以前から知り合いでしたが、この旅で長時間を一緒に過ごす中でお互い惹かれ合ったのですね。エフィにとってラスキンとの結婚は「女性」として幸せとは言い難いものでした。この旅の時点で、結婚して5年以上経っていましたが、2人の間には一切性行為はありませんでした。ラスキンはエフィ自体、また女性の体に対して嫌悪感を抱いていたらしいです。男女の身体の差異を「気持ち悪い」と感じていたため、だそうです。どれほど世間で名高い夫とはいえ、自分の体をまるで異物感満載に扱われるなんて女性として、いや、人間としても寂しすぎますよね。
こういった状況の中で、惹かれ合った2人は2年後に結婚しました。ラスキンから妻を奪ったミレイ、ラスキンという夫がいるにも関わらず、他の人を好きになったエフィ、彼らの結婚はスキャンダルとして世間を賑わせ、非難の嵐だったようで、ヴィクトリア女王をも激怒させましたが…2人は子宝に恵まれ、幸福な結婚生活を送ることができたようです。
前半で紹介したミレイ作の’Alice Gray’のモデルは、エフィの妹です。ミレイはエフィや彼女の姉妹、自身の家族をモデルに複数の絵画を制作しました。’Alice Gray’の愛らしい姿は、ミレイの幸福な結婚生活を物語っているようですね。
こうして、『滝』の背景の物語を踏まえて改めて見てみると、個人的には、ごつごつした大きな岩の険しさは、エフィの「女性性」がラスキンに否定され、女性らしさを失いつつある状況を、水底のくすんだ色合いは、エフィのラスキンとの結婚生活の侘しさを表しているように思えてきます。そんな中でエフィの中にある「愛」を表しているかのような「真っ赤」な色合いはミレイが見つけたひとつの光であるかのようです。
自然描写を大切に―ラスキンの教え
ラスキンは、「自然」を忠実に緻密に描くことを重要視していました。
絵画の中に描かれる人物だけでなく、自然も同様に大切に描くこと―ミレイはこの教えに感銘を受け、自身の作品で自然描写を大切にしました。
人物以上に自然を描くことに時間を多く費やすこともありました。
『滝』においてはどうだったのでしょうね。
客観的にみると、自然描写が大半を占めており、人物以上に時間をかけて描いたように思えますが、小さく描かれたエフィの姿に対する思い入れは自然以上に強かったのだろうなと想像せずにはいられません。
このように、「ストーリー」を知ることで同じ絵画をまた違う視点から鑑賞するのも興味深いですね。
因みに、エフィは裕福な家庭で育ち、教養があり、美貌にも恵まれており、ラスキンとの結婚前は、社交界で男性を手玉にとる「ファム・ファタル」的存在でした。
一方、研究に多くの時間を費やしてきたラスキンは、エフィとの離婚後、39歳の時に10歳の「ローズ」という少女に恋をし、彼が45歳の時、16歳になったローズにプロポーズしたのですが、玉砕しました。39歳で10歳の子に…って。「女性性」がまだあまりみられない中性的な姿がラスキンにとっては「自然」と重なって見えたのでしょうかね。
今回は、一流の老舗百貨店であるリバティ商会とも交流の深かった芸術家やその周辺の人々―画家の妻や愛人など―を巡る絵画に描かれた物語についてお話しました。
次回は、今回に引き続き、絵画に描かれた恋愛物語をお話したいと思います。