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どこから行っても遠い町

静かな夜がもっと静かになるような気がする…。小説「どこから行っても遠い町」川上弘美著

「今年こそ気合を入れて部屋の掃除をしよう!」
と思い立ち、少しずつ部屋を片付け始めています。
一気にやってしまえば楽なのですが、休憩など入れようものなら、そこでもう動くのが面倒くさくなり辞めてしまうのがオチです。
昨年がそうでした。
ですので、毎日少しずつにとどめています。

新型コロナウィルスの感染が再び拡大しつつある今日この頃です。
再び外出自粛になってもいいように、せめて家の中だけでも居心地よくしておきたいですね。
なんて思いながら、積み本の整理をしているうちについつい読みふけってしまったのが今回ご紹介する一冊、小説「どこから行っても遠い町」です。



では、あらすじを簡単に

舞台は東京にある小さな下町。

唐木妙子42歳。予備校で英語の教師をしています。
ある日、行きつけの魚屋「魚春」の平蔵大将と、同居人の源さんの関係を、八百屋の奥さんから聞いてしまいます。
なんと、背の高い源さんは、平蔵の妻の元浮気相手だったというのです。
(小屋のある屋上)
 
渉があまり「穏当な」父親ではないということに息子の枝元譲がうすうす気付いたのは、小学校に上がる前でした。
母は3歳の時に亡くなっています。
「穏当ではない」のが確定したのは小学校4年生の時です。
同級生の三田村サチの母親と2人きりで会っていることに勘付いてしまったのです。
いつも着物を着ていておっとりとした空気をまとっている「おかあさんそのもの」のような三田村サチの母親。
渉とのことに気づいたときから「おかあさんそのもの」ってしろものはもういらないなということも、はっきりしたのです。
(午前六時のバケツ)

高之は純子と長らく不倫を続けています。
「もうあたし、がまんできないなあ」
「好きなんだよ、だから我慢できないの」
突然の純子の言葉に高之は仰天します。
こんな時どうすればいいのか。高之には全然わかりません。
ただ、どこかで見た光景だということをふいに思い出しました。
それは、高之が中学生になったばかりの頃。
確かにこれとよく似た光景を見たことがあったのです。魚春のおばさんと背の高い男の人…。
(どこから行っても遠い町)

東京の小さな下町で繰り広げられる平凡な日々に潜むあやうさを描き出す11編の連作短編集です。

作家情報

作者の川上弘美さんは1994年、短編「神様」でパスカル短篇文学新人賞を受賞し作家デビューします。
そして1996年「蛇を踏む」で第115回芥川賞を受賞しました。
幻想的な世界と日常が混ざった独特な世界観に定評があります。
2019年には紫綬褒章を受章しました。

緩やかな空気感

舞台は都心から私鉄で20分ほどの町の古くからある商店街。
魚屋や八百屋、居酒屋があるような少し懐かしさを感じさせる商店街です。
本作は11篇それぞれ語り手が異なっています。
それぞれにこの町にずっと住んでいる人、新しく来た人、前に住んでいた人です。
登場人物の今と過去が緩やかに繋がりあい続いていきます。

平凡で穏やかなように見えても心の内に秘めておきたい思いのようなものが人にはあるのではないかと思わされます。

表題作「どこから行っても遠い町」の主人公の高之は不倫相手の純子と何となく長年関係を続けています。
彼女が突然「我慢できなくなった」といったことで、自分自身の人生とそれに関わった人々のことを思います。
そして、自分が何も決めなかった、誰かが決めていたと思っていたことが誤りだったと気付きます。
生きる、誰かと関わる、そのすべてを自分が選択してきたことだとわかったのです。
とりたてて大きな事件やドラマティックな出来事は無いにせよ、人生の主人公は自分自身なのだということに気付ける、それはとても大切なことですね。

男女関係のお話が多いのですが淡々とした静けさを感じさせる文章は、不思議と生々しさを感じさせることはなく、すんなりと入ってきます。

静けさの中に漂う儚さ、あやうさ、切なさ…。各話で繋がってはいるのだけれど絶妙な距離感を持つ川上弘美さんらしさ満点の作品集です。
ゆるゆると余韻に浸っていたら片付けの手が止まってしまった…。そして止まったまま…。
静かな夜に読みたかった…。

どこから行っても遠い町
著者:川上弘美
出版社:新潮社
発行:2008年11月21日

※画像はAmazonより引用させていただきました

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