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19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆Vol.13 【淑女とドレス-前編】

皆さん、こんにちは。
最近はフィルムカメラが流行っていますね。
一方で「一眼レフカメラでのセルフィ」が写真界やモデル界隈を中心に芸術のひとつとなっています。
セルフィ(自撮り)といえば、加工アプリで撮ったものをSNSにアップする人たちを思い浮かべる方も多いのでしょうか?
ひょっとしたら「寂しい人」「虚しい作業」といった印象を持つ方もいるかもしれませんね。
しかしながら、「セルフィ」といっても、「自分をキレイに撮りたい」といった意味ではなく、自分の世界観を自分で作る、という作品創作という意味合いです。
今や、そういった意味での「セルフィ」は写真界において芸術作品の極みと言われるレベルまで到達しているものもあります。
そして、自分の世界観を自分で作ることは、自分と向かい合うことでもあります。
自分の内面を知る、知らなかった自分を知る、といった静かに自分と対話する機会です。

©keito (studio_opera)

ところで、もしこのような写真をヴィクトリア朝時代の人が目にしたらどんな風に感じるのでしょうね。
まず、人相を読み取りそうです。
当時は「観相学」といって、容姿からその人物の性格や才能を読み取ろうとする学問が流行していました。
実際、Vo.11でお話した『ジェイン・エア』にも観相学の場面が出てきます。
さらに、ダーウィンが「進化論」の中で、「人や動物の表情について」科学的観点から述べたことが「観相学」ブームをさらに後押ししました。


私たち現代人は、なりたいイメージに合わせて化粧をしたり、ヘアスタイルや服をコーディネートしたりすることで、「印象」を変えることができます。
私自身も、撮影の際は作りたい世界観に合わせて、コーディネートしています。

しかしながら、19世紀、ヴィクトリア朝時代のイギリスの淑女は、「観相学」の観点から、化粧を禁じられていたのです!!
「なりたいイメージ」を人工的に作ると「性格や才能の読み取り」ができなくなってしまうため、淑女のメイクアップには厳しい規律が設けられました。
前回お話した「肌の色や血色」の背景にも、その一因として「観相学」の存在がありました。
ちなみに、ダーウィン自身も、他人に「観相」を読み取られ、困惑したこともあるそうですが、当時の淑女らはもっともっと困惑していたのですね。
しかしながら、やっぱりお洒落を楽しみたい女心は健在。
化粧できないうっぷんを晴らすかのように、淑女のドレスは盛りに盛られ、過剰装飾になりました。

今回は、淑女のドレスについてお話したいと思います。

淑女のドレスは過剰装飾

19世紀、ヴィクトリア朝時代のイギリスでは、淑女は化粧品の使用はタブーとされていた一方で、服装は装飾過剰に盛られていました。
中産階級の女性の服装=「家主の社会的、経済的レベル」の象徴だったためです。
18世紀には、上流階級の貴婦人らを中心に「美」の規範が定められ、白粉や香水などの化粧品が流行していましたが、19世紀前半(1832)に中流階級の男性に選挙権が認められ、ヴィクトリア朝の始まる頃(1837)には中産階級が台頭し、社会の中で勢力を増しました。
悪い言い方をしてしまえば「成金」といったイメージでしょうか。
しかしながら男性は「紳士」たる存在、華美はタブー。
それ故に、男性が庇護する女性の煌びやかな服装が「富」や「地位」の象徴となりました。

淑女の必需品-クリノリン

ドレスと言えば、スカートの膨らみ!
ヴィクトリア朝初期には、淑女らは十数枚もの下着を重ね、スカートの膨らみを作っていました。
「クリノリン」と呼ばれるものです。
ちょっと想像してみてください。
下着を十何枚も…って、平安時代の十二単みたいで、動くのにも一苦労ですよね。
ましてや外出や家事なんて到底無理‼
ですが、当時の淑女は外出に対する規制も厳しく、外で異性に目撃されようものなら「娼婦」扱い(‘Д’)‼
さらに、彼女らには「家庭の天使」として家を安らげる場所にする役割が課せられました。
しかしながら淑女たるもの、「家事」はやらないほどベター。
というのも「召使いの数」=「富や地位」の象徴だったためです。
行動範囲や体の動きも相当に制限されていたのですね。
つまり淑女は「静的」または「受動的」といった存在だったのです。

19世紀半ば、1850年代には「クリノリン」が改良され、金属製のクノリンの発明により、軽量化が図られ、女性らは「動く」という動作がそれ以前と比べ、随分楽になりました。
この頃には旅行ブームが始まり、淑女も外出する機会が増えました。
つまり、淑女が「動的」または「能動的」といった存在へと変化したのです。

Crinoline cage, about 1860. Museum no. T.150-1986
画像引用元:http://www.vam.ac.uk/content/articles/c/corsets-and-crinolines-in-victorian-fashion/

ちなみに、同時期のアメリカではアメリア・ブルーマーによってパンツ型の下着「ブルーマー」が開発されましたが、この下着はイギリスの淑女には却下されました。
しかしながら、クリノリンが引っかかって転倒したり目測を誤ってスカートに火がついたりと様々な事故が相次いだことらから、1860年代にはクリノリン廃止の動きが始まりました。
実際に淑女がクリノリンを完全に脱ぎ捨てたのは20世紀になってからでした。
ドレスを綺麗な形に見せてくれるクリノリンは淑女の必須アイテム。
そんなに簡単にはやめられなかったようです。

淑女の必需品-コルセット

クリノリンと同様、「コルセット」も淑女の必須アイテムでした。
ウェストを細く見せ、姿勢をよくみせる役割がありました。
つまり、シルエットを美しく見せる、という効果です。
私たち現代人もウェストを細くしたい、という願望を持っている人も少なからずいると思いますが、なぜ「ウェスト」???
それは「S字」の効果です!!
「S」の字は角がなく、女性らしさを感じさせる形状をしています。
草花や、浮世絵に描かれた「見返り美人」のシルエットにも「S」のシルエットが見られます。
細く美しく見せてくれる「S」は、時空を超えて人気だということですね。

画像引用元:https://www.pinterest.at/pin/480618591455204495/?nic_v1=1aHR%2BEVAYx8f%2BZHptpxZ5wPHSL5wglUVLbGWUlszWH79huiK5A1%2BVrji0K1a9QwELX

しかしながら、コルセットの存在はやがて物議を醸し出すこととなりました。
コルセットの締め付けによる骨格や内蔵の歪みや、本来の身体の健全さを奪われることから精神的異常を引き起こしてしまう可能性が指摘されました。
さらには出産の弊害につながることから、「(人類の)種の存続の危機」といったスケールの大きい問題にまで発展しました。
こういった背景の下、19世紀後半からコルセット廃止運動が広まりました。

一方で、ヴィクトリア朝初期から存在していた男性の描く理想の女性像のひとつである「儚さ」「軟弱さ」といった観念は相変わらず存在していました。
どうしたらええんや??と思ってしまいそうですが、淑女の大半も今までの伝統を簡単にはやめられなかったようです。
お洒落を最優先したい、という乙女心は当時も今の時代も変わらないのですね。
最終的に、ファッションの発信地であったパリでコルセットからの脱却が実現したことで、イギリスの淑女もコルセットからサヨナラできました。

次回は、淑女のファッションの「闇」なるものを、イラスト等を中心にしながらお話したいと思います。

[参考文献]
小倉孝誠. <女らしさ>の文化史―性・モード・風俗. 中公文庫, 2006

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