19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆Vol.14 【淑女とドレス-後編】

皆さん、こんにちは。
前回は19世紀、ヴィクトリア朝時代のイギリスの淑女のファッションの規律であり、必須アイテムである「コルセット」と「クリノリン」についてお話しました。
ドレス衣装は女性にとって古今変わらず憧れのファッションのひとつですね。
テーマパークでも、レンタル衣装で撮影したり、持ち込みのドレスで撮影できるところがどんどん増えています。
テーマパークに興味のなかった人でも「衣装で撮影」といった目的で足を運んだり、と目的が多様化し賑わいを見せるというのは、テーマパークの新しい在り方として興味深いと個人的に思っています。

しかし、仮に、ヴィクトリア朝時代のイギリスの淑女が当時のドレスのまま、テーマパークにタイムトラベルしてきたとしたら、かなり迷惑になっていたことでしょう。
というのは、スカート部分のボリュームがあまりありすぎて、淑女同士が会話をしようとすると、顔と顔の間に6フィート(約180cm)の空間が必要だったとか。
テーマパークにも入場制限がかかってしましそうなほどのスカートのボリューム感ですね。
因みに、1フィート(=約30cm)は、11世紀のイングランド王ヘンリー1世の足(単数形:foot/複数形;feet)の長さが由来となっているという説もあります。
今のイングランドは11世紀にフランスに侵略され、フランス人がイングランドの支配者となったため、その時代に新たな単位が作られた、というのも納得できそうです。

話を戻すと、このように、19世紀、ヴィクトリア朝時代のイギリスにおいて、男性にとって理想の女性像のひとつであった淑女のドレスや、必須アイテムであった「コルセット」と「クリノリン」は、一方で批判の対象にもなっていました。


今回は、「風刺画」や写真を中心に淑女の衣装の「闇」をお話したいと思います。

届かない!

画像引用元:https://victorianfanguide.tumblr.com/post/17430139650/a-cartoon-which-appeared-in-the-satirical-magazine

このイラストは、’Punch’ /「パンチ」と呼ばれる雑誌に掲載された「風刺画」のひとつです。
19世紀半ば(1841)に創刊された、当時の社会状況をユーモアと批判を混じえて誇張し、風刺したイラストが掲載されている雑誌です。

この場面では、クリノリンの改良によりドレスがさらにふわっと広がり…広がりすぎたあまり男性が淑女の手を取ろうとしても取れない様子が描かれています。

似たような場面をもう一つ紹介したいと思います。
淑女のドレスがあまりに広がりすぎて、男性は彼女に長い取っ手の付いたトレイを使って飲食物を渡しています。
こちらも’Punch’に掲載された風刺画です。

危ない!

‘Accidents could happen’, print, about 1859
画像引用元:http://www.vam.ac.uk/content/articles/c/corsets-and-crinolines-in-victorian-fashion/

この風刺画には、クリノリンが大きすぎて、馬車の出入り口でつまずき、転倒している様子が描かれています

1850年代に、ミシンが発明されるとドレスの大量生産が可能になりました。
スカート部分もデザインが多様化し、フリルがつけられ、ますます装飾的でボリューミーになり、ボリームを保つためのクリノリンのサイズも大きくなっていきました。
ミシンの発明により、コルセットの大量生産も可能になったため、お洒落の幅が広がりました。
淑女らがクリノリンやコルセットを好んで身に付けたことにも納得してしまいます。

怖い…

画像引用元:https://www.collectorsweekly.com/articles/what-not-to-wear/

見ての通り、コルセットによって締め付けられた細いウェスト。
60㎝以上のウェストがコルセットにより40cm台にまで絞られました。
中にはウェストの締め付け過剰によって、内臓の位置がずれたり、肋骨が折れたりして死亡した人もいたそうです。

コルセットの歴史は古く、紀元前から存在していたそうですが、その意味合いは時代によって異なっていたらしいです。
ヴィクトリア朝時代に関して言えば、ヴィクトリア朝時代が始まる少し前からコルセットは使用されていましたが、これは女性はか弱く、体の支えが必要であるという医学的な迷信によるものであり、お洒落のためではありませんでした。
淑女らは幼いころからコルセットを装着し、成長するにつれコルセットは縦に広く、締め付けが強く作り替えられました。
人工的にウェストが支えられていたことから、コルセットの脱着時にはもはや自身の力だけでは立ったり、座ったりできなくなりました。
内臓は変形し、呼吸もうまくできず…。
こういった事情からヴィクトリア朝時代の淑女は気を失うことがよくありました。

ヴィクトリア朝時代のイギリスの淑女は、自らをか弱く…か弱すぎるほどの体質をコルセットによって作っていました。
そういった儚い姿が男性にとっての理想の女性像だなんて恐ろしいですね。

しかしながら、コルセット自体も機械化による大量生産により、デザインも多様化し、いつの間にか淑女にとって欠かせないお洒落アイテムになっていった…というのはなんとも皮肉な話ですね。
しかも、淑女は「結婚し、出産する」ことが当たり前だった時代であり、気を失っても「女性はか弱いものだからよくあることだし」とそこまで問題視されず、精神的苦痛などから感情を表に出せば「ヒステリー」「狂人」といったレッテルを貼られ…。
淑女には規律に従うしか、無難な道はなかったようです。

もう一つ、怖いなあと思ったシーンをご紹介したいと思います。

画像引用元: https://www.collectorsweekly.com/articles/what-not-to-wear/

この風刺画も’Punch’ に掲載されたものです。ここでは、ドレスの染料と花冠によって淑女と紳士が白骨化した様子が描かれています。
毒性のある染料でドレスや花冠を含むファッションアイテムを染めていたため、ただでさえ砂ぼこりの舞う工場で働いていた労働者たちの体内にその毒が入り、肺に異常をきたし死亡した人もいるらしいです。
そんな事情を知ってか知らずか、毒性のある染料で染まったドレスと花冠を纏って、毒に侵されていく中流階級の淑女とその傍らにいる紳士。
この染料は時を経た2015年時点でまだ使用していた国もあるそうです…。

今回は、淑女のファッションの裏側にある「闇」についてお話しましたが、自身のいる世界での「常識」や「倫理観」に異論を持つ人は、特にヴィクトリア朝時代のイギリスの淑女には少なかったのかもしれませんね。
しかしながら、淑女の中から「新しいファッション」が徐々に流行し始める時代が19世紀後半以後に到来しました。
「今の若者は(‘Д’)!!」といういつの時代にもありそうな批判もあったようですが、個人的にはちょっとホッとしています。

次回は「新しいファッション」についてお話したいと思います。

[参考サイト]
https://thevictorianerafashion.weebly.com/corsets.html
http://www.vam.ac.uk/content/articles/c/corsets-and-crinolines-in-victorian-fashion/
https://www.collectorsweekly.com/articles/what-not-to-wear/
https://www.punch.co.uk/archive

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