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19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ vol.23【ジュリア・マーガレット・キャメロン-前編】

皆さん、こんにちは。
先日、上野にある国立西洋美術館で開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」(開催中-2020/10/18)に行ってきました。
そこで最も感銘を受けたのは、「美術館の設立の歴史」でした。
絵画以上に!!
一部屋まるまる展示されていた「ナショナル・ギャラリー」の歴史の解説を読んで、いかに多くの人たちの努力や貢献があったのかを知り、私たちが古今東西の芸術を鑑賞することができるのは感謝すべきことなんだ、と実感しました。

中でも、イギリスの大実業家であるヘンリー・テート氏(1819-1899)には、ありがとう‼と何度も言いたくなりました。
というのも、私が大好きな、19世紀後半から20世紀初頭のイギリス絵画を多数所蔵する美術館「テート・ブリテン」が開設されたのは、ヘンリー氏がコレクションを寄贈したおかげだったのです。
ヘンリー氏は、同時代の芸術家の作品を60点以上収集し、自宅で公開していたそうです。
現在「テート・ブリテン」に所蔵されている、ラファエル前派兄弟団の画家ジョン・エヴァレット・ミレイの傑作『オフィーリア』も彼のコレクションのひとつでした。
ミレイの作品に惚れ込んで、パトロンにもなったそうです。

ミレイ作『オフィーリア』(1851-2)
画像引用元:https://www.tate.org.uk/art/artworks/millais-ophelia-n01506

ヘンリー氏は後に、もっと多くの人が見られるように、という思いからナショナル・ギャラリーに個人蔵の作品のすべての寄贈を申し入れました。
無償で‼、です。
しかし、ナショナル・ギャラリーには既に受け入れられるだけのスペースがなく、なんと…寄贈を断られてしまいました。
その後、イギリス政府から、イギリス国内の芸術作品を所蔵するための美術館をナショナル・ギャラリーの分館として設立する許可がおりると、ヘンリー氏は個人蔵のコレクションの寄贈だけでなく、設立のための巨額の資金…現在の日本円で5億円以上でしょうか…スゴすぎる額の投資のおかげがあって、今のテート・ブリテンが設立(1897)されました。
イギリスは19世紀後半当時にはまだまだ、国内独自の芸術に対して消極的でした。
テート・ブリテンが刑務所を改築した建物であることも、その証拠のひとつかもしれませんね。



ピクトリアリズムの「巨匠」ジュリア・マーガレット・キャメロン

ヘンリー・テイト氏がイギリス国内の芸術作品の普及に目を向けていた頃、写真界では、「写真を絵画のような作風/pictorialism」で「芸術作品」として自己表現の機会にしようとフォトグラファ(ピクトリアリスト)らの試行錯誤が続いていました。
前回お話したように、ピクトリアリストの中には風景写真を好む者もいれば、人物写真を好む者もいました。

中でも、ジュリア・マーガレット・キャメロン(1815-1879) は人物を撮り続けたピクトリアリズムの巨匠として、後世のフォトグラファに影響を与え続けています。
ジュリアがフォトグラファを始めたのは、なんと48歳‼
それ以前からカメラに興味を示していたところ、彼女の子どもたちがクリスマスの贈り物としてカメラをくれたのです。
初めてカメラを持ってから11年(1864–1875)という比較的短い時間の中で、才能あるジュリアは初期の頃から独自の作風を確立していきました。

今でこそ彼女の作風は人気が高く、その作風を理想とするフォトグラファも稀ではありません。
しかしながらジュリアの作品は、当時の伝統的であり正統派を重んじる芸術界では、あまり評価されませんでした。

ジュリアの作風は、前衛的でした。
というのも、彼女には、理想とする作風があったのです。
それがラファエル前派の絵画でした。
ラファエル前派の作風に憧れていたジュリアは、その作風に影響を受けながらも、写真だからこそできることを追求したい、という強い信念を持っていました。

ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品-自然を背景に

ジュリアはどんな写真作品を残したのでしょうか。

ここでは、ピクトリアリストたちが信条として持っていた、「自然を緻密に観察し、自身にとっての『美』を見つけ出し、それを写真でいかに表現するか」が見られる写真作品を1点ご紹介したいと思います。

人物写真を撮り始めるにはまずは身近な人物から、ということで裕福な家庭で生まれ育ったジュリアは抱えていたメイドたち、家族、近隣の住民…等、身分階級関係なく「美しい!」と感じた人物をモデルとして撮影しました。
確かに美しすぎて、欲しすぎる、、、!(イギリスの所蔵美術館では現像写真を購入できるんです。)

「習作」The Gardeners Daughter(庭師の娘), 1867
Julia Margaret Cameron
[画像引用元]https://www.anothermag.com/art-photography/gallery/7592/julia-margaret-cameron/16


この写真作品のモデルは、ジュリアの結婚後の邸宅のメイドのひとりであるメアリー・ライアンです。

この作品では、庭に咲く花を愛でているライアンの姿にレンズがフォーカスされています。
彼女の周囲の自然のアーチは円を描くようにグルグルしており、アーチの向こう側の風景はぼんやりと写し出されています。

このように、光がグルグルしていたりぼけ感のある作風は、レンズに入る光の加減によって自然とできるものでした。
当時のカメラのレンズは今と違って、光を均一に取り込めなかったのです。
均一感を求めるという意味では失敗作ですが、「絵画のような作風」としては美しい写真作品とも言えます。
現代では、オールドレンズといって、あえて古いレンズを使うことでこの作品のように、光を均一に取り込まない作風を好むフォトグラファも稀ではありません。

ピクトリアリストたちがそれぞれに見出した「美」は、beautifulではなく、aestheticという形容詞で表現されることがより一般的でした。
脱毛や美肌のための「エステ」と同じ語源です。
「エステティック」という表現は、ラファエル前派兄弟団に始まる19世紀後半から20世紀初頭の芸術家の作品に見られる「美」を表現する際にも用いられます。

ラファエル前派兄弟団のリーダーであるダンテ・ゲイブリル・ロゼッティが好んで描いた、身体を締め付けない古代ローマ・ギリシャ風のドレスは「エステティックドレス」と呼ばれています。


『庭師の娘』の中でメアリーが纏っている衣装も「エステティックドレス」ぽいデザインだなあ、と感じました。
ラファエル前派が好んだ「エステティックドレス」は、実際、ジュリア・マーガレット・キャメロンの写真作品の衣装として多用されています。

しかしながら、このaestheticという言葉は、芸術作品だけで完結しないんです。
やがて「女性解放運動」という社会的運動にも繋がっていきます。
これについてはまたの機会にお話したいと思います。

次回は、ジュリア・マーガレット・キャメロンの活動の軸となった2つの分野の写真作品についてお話していきます。

[参考サイト]
https://www.museoreinasofia.es/en/collection/artwork/ellen-terry-age-sixteen

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