2度のフレンチ・ロックダウンを経験して気づいた「ニューノーマル」
私がフランス人の夫と結婚して渡仏したのが2018年のことでした。
アラフォーでの海外移住は何かと苦労が多いものの、それなりに環境に馴染み「2年目の2020年は飛躍の年にするぞ!」と意気込んでいたものです。
ところが、そんな期待を打ち消すかのように新型コロナウィルスの第一報が飛び込んできたのは年が明けてまもない2月のこと。「はるか東のウィルス」と、よそ事のような認識はあっという間に覆り、フランス政府は3月より厳格なロックダウンを実施することになったのです。
3月から5月にかけての一斉ロックダウンの内容は大変厳しいもので、誰もが経験したことのない異様な状況に戸惑いました。
ただこの2か月にも及ぶロックダウンにより、フランスは感染拡大を抑えることに成功。
この時、皆が「ウィルスは去った」と確信していました。ところがこれが早合点だったのでしょうね。
もともとフランス人のバカンス好きな性格、そしてロックダウンの反動もあって、夏以降は人の移動による感染率がまたしても急上昇。
フランスの大統領、マクロン氏は「感染の『第二波』は今までより多くの死者を出す可能性がある」とテレビ演説で語り、10月30日からフランス全土で再びロックダウンが始まったのです。
外出理由として認められるのは、テレワークのできない通勤、通学、生活必需品の買い物、一時間以内の軽い運動、高齢者施設への訪問などで、必要事項に各自記入した証明書を持参しなければいけません。
宅配などを除くレストランやバー、スポーツジム、小売店はまたしても閉鎖になり、会社員には在宅勤務が求められました。
10月以降、気温が低くなってからの新規感染者数は増加する一方で、なんと1日8万人の日も。
もちろん検査数も1週間で200万件近くと非常に多いのですが、もうここまでくると数字にマヒしてしまっています。
フランス人は本当に変わりました。
つける習慣のなかったマスクを常に身に着け、大好きなハグやビズ(頬と頬をくっつける挨拶)の機会もなくなり、衛生面でものすごく神経質になったのです。
道ですれ違う人も、まるで遠ざかるように近づいてくるような印象でした。
そんな数か月間、いつ感染してもおかしくないという状況に置かれた私でしたが、秋頃からはコロナに対するネガティブな感情を手放すことに決めました。
「収束」は「終息」を意味するものではありません。残念ながら。
いったんの収束でロックダウンや休業が解除されることはあっても、それで終わり(終息)ではない、ということをずっと念頭におかなければならないのです。数年にわたる長期戦となるからこそ「ニューノーマル(新常態)」の考え方にフォーカスしなくてはなりません。
もちろん感染してもいい、と思っているわけではありませんが、私が2度のロックダウンを経験して得たものは、何ものにも代え難い有意義な時間と新しい価値観でした。
まず、フランス人の夫は一回目のロックダウンで勤めていた会社を解雇になったのですが、ほどなくして転職に成功。そして転職先はオフィスを持たない、100%テレワークのIT企業でした。
なんと彼の同僚はフランスをはじめ、カナダ、パキスタン、北米、アルゼンチンと世界中に存在し、仕事場はそれぞれの自宅です。経営陣は「Wi-Fiさえあれば、世界のどこからでも仕事していいよ!」と言っているのだそう。
これによって彼は通勤時間から永遠に解放され、時間のできた私たちは念願の体外受精の治療に専念することが可能になりました。
夫婦ともに在宅勤務なので会話も増え、特に家庭内のチームワークが向上したように思います。
事実、こちらではパリを離れる人が続出していて、ノルマンディー地方など海沿いの分譲住宅の需要が右肩上がりなのだとか。
私は渡仏直後からフランス語を習っているのですが、もちろんロックダウンを機にオンライン授業に切り替わりました。
最初こそ抵抗があったものの、始めてみるとこれが本当に便利!
「行って満足」といった怠惰性が消え去り、その代わり予習・復習のモチベーションと効率がグンと上がりました。(対面と変わらない授業料の元を取ろうと躍起になっているところもありますが。)
一部の高校や大学が既に実施しているように、これからは「ハイブリッド型」の学習が「ニューノーマル」になるのではないかと思います。
ロジカルシンキング、ボキャブラリー学習、ライティングなどの座学に近いものはオンライン。そして課題をチームで解決させるとか、実習を含むものなどアナログ的なものはオフラインになるのではないでしょうか。
このため地域格差はもっとなくなり、距離によって発生するコストがテクノロジーの進化によって減少すると思います。
逆を言えば、現代のテクノロジーがなければ私たちはコロナに負けていたかもしれません。何十年も何も起こらないこともあれば、数か月のうちに数十年分の進歩をとげることもあります。
新型コロナウィルスはまさにターニングポイントで、社会的にも個人的にも「ニューノーマル」を作る契機になりました。
今回、「いったい私は今まで何を守り、何を捨て、どう生きていこうとしたのだろう?」と自分に問い正してみて、出た答えがあります。
それは、「不必要に欲しがっていて、不必要に断捨離し、そして何より働きすぎていた」ことです。
あたかも「時間がない」と口にするのがカッコいい、そんな風潮で生きてきた私にとって、ロックダウン期間中は今までの価値観を見直すチャンスを与えてくれたのかもしれません。
また、地球温暖化やゼロウェイスト活動、エコフレンドリーといった環境問題に目を向ける余裕も生まれました。
2度のロックダウンを経験して気づいたのは、「自分の関心事がどんどん内側から外側に向かっていること」そして「もっと有意義な時間を持つこと」だったのです。
国によって多少の差はあれど、これからの「ニューノーマル」の側面には、余裕・セルフプロデュース力・柔軟性といったワードが不可欠になることでしょう。
フランスが「利益」よりも「人命」を優先した今回のロックダウンを、私は全面的に支持したいと思います。
あえて表現するならば、それはただひたすらに生き抜くことだけに執着した「生」ではなく、隣人もしくはウィルスとの「共生」を意味していたからです。
コロナには、本当に振り回された一年でしたね。
こちら2度目のロックダウン解除はまだ先のことですが、道徳的進歩も兼ね備えた「ニューノーマル」の到来を楽しみにしながら、気長に待ちたいと思います。