せつなくも優しいある兄弟の人生。小説「ことり」小川洋子著
私が通っていた高校はミッション系の女子高でした。
他県にも姉妹校があり、文化祭の実行委員だった私は3年生の時、そこで行われる文化祭に招待されました。
宿泊先は学校の裏手に併設されているシスターたちが住む教会でした。
与えられた4畳半ほどの小さな部屋には木のベッドと簡易的な洗面所。
ベッドの脇には小さな木のサイドテーブルがあり、シンプルなテーブルランプが置いてありました。
余計な飾りのない質素な造りの部屋でしたが、清潔でとても過ごしやすい部屋でした。
シスターたちの部屋も皆、おなじ造りのようです。
シスターたちはそこで神へ祈りを捧げながら静かに過ごしているのだと思うと、なんだか私も清められたような気がしました。
クリスチャンではない私でしたが、その夜はベッドの脇にひざまずき、壁にあった十字架に祈りを捧げました。
雰囲気にのまれやすいのはあの頃も同じ。
静謐で清らかな空気に満ちた場所でした。
さて、今回ご紹介する小説は小川洋子さんの「ことり」です。
教会で過ごしたあの時を思い出させてくれた作品です。
では、あらすじを簡単に
ある日、〈小鳥の小父さん〉が、自宅で亡くなっているのが、新聞の集金人によって発見されます。
遺体は横向きになっており、背中を丸め、両足を軽く曲げた状態で、両腕で竹製の鳥かごを抱いていました。
鳥かごの中の止まり木には、メジロが1羽止まっていました。
〈小鳥の小父さん〉には、独自の言語でしか話せない兄がおり、その言語を理解できるのは〈小鳥の小父さん〉だけでした。
その兄が52歳で亡くなった後、〈小鳥の小父さん〉は近所の幼稚園の鳥小屋の世話をするようになり、彼は園児たちから〈小鳥の小父さん〉と呼ばれるようになっていたのです。
作家情報
作者は小川洋子さんです。
1988年、大学の卒業論文として提出した「情けない週末」を書き直して『揚羽蝶が壊れる時』というタイトルで海燕新人文学賞に応募しました。
そして同年9月8日、海燕新人文学賞を受賞します。
『揚羽蝶が壊れる時』は『海燕』1988年11月号に掲載され作家デビューとなります。
1991年、妊娠した姉に対する妹の静かな悪意を描いた『妊娠カレンダー』が第104回(1990年下半期)芥川賞を受賞しました。
透明感に溢れる静謐な文章は、時に温かさを、そして時にぞくりとする冷たさを内包し、私たちを否応なく物語の世界観に引き込んでいきます。
ことりのうたはすべて愛のうた
物語冒頭、いきなり語り手の「小鳥の小父さん」は遺体で発見されます。
小父さんは人間の言語を話せないけれど小鳥のさえずりを理解できる兄と、兄が52歳でこの世を去るまで2人でひっそりと暮らしていました。
小父さんは言葉を話さない兄が自分で編み出した言語を唯一理解できたのです。
兄が亡くなってからは兄が愛した場所、幼稚園の禽舎の小鳥たちの世話を20年以上にわたって世話をしていました。
2人の生活は昨日と同じ1日を過ごすことを繰り返しています。
同じ起床時間、食事も同じ時間に同じメニュー。
夜はラジオを2人で聞き就寝する。
小父さんはそれが兄を安心させられる手段であると知っています。
多分、兄は何らかの脳の疾患か、精神の疾患だったのでしょう。
社会に上手く迎合できない生き辛さを抱えていた人だったのだと思います。
小父さんも兄に合わせているようでいて、兄が亡くなった後も同じような日々を送っているのを見ると、彼にもその傾向があるように感じました。
社会の片隅で寄り添うように生きている兄弟の生活は、歪ではありますがとても静謐で穏やかな空気が漂い、ある意味、神聖なもののように感じました。
シスターの暮らす教会を思わせる清らかさがそこにはあるような気がします。
兄が亡くなってからの小父さんは社会と向き合うことが必要になりますが、それが時に残酷で容赦がなく、いたたまれない気持ちになります。
兄は「ことりの歌はすべて愛のうただ」と言います。
小父さんもそれに納得します。
私たちに届くことりのうたも愛をうたっているのでしょうか?
そう考えるといつも聞く小鳥のさえずりがまた違って美しく感じられます。
寄る辺のない兄妹が導いてくれたささやかな事実は心に深く刻まれます。せつなくも優しい作品です。
ことり
著者:小川洋子
出版社:朝日新聞出版
発行:2016年1月7日
※画像はAmazonより引用させていただきました