19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ vol.24【ジュリア・マーガレット・キャメロン-後編】
皆さん、こんにちは。
雨の日が続きますね。
雨の匂いや紫陽花の美しさ、涼しさが私は大好きです。
SNSに投稿される写真を見ていると、紫陽花ってたくさんの人に愛でられているなあとしみじみ感じます。
前回、「オールドレンズ」という言葉をちらっと書きましたが、自分の周りでは紫陽花をオールドレンズで撮るのが好き!という人が結構多いです。
そう言っている自分もオールドレンズが大好きです。
先日、私も紫陽花を撮りに行ったのですが、こんな感じに写りました。
ピンクっぽい写真は、もはやどこに紫陽花おるねん!って感じですが、ちゃんといます。
「オールドレンズ」、つまり昔のレンズは光が均一に入らないため、レンズの種類にもよりますが、このように光の加減で偶然、予想外の写真が撮れることが多々あります。
こういった幻想的な写真を好きな人もいれば、実物にもっと忠実な写真を好む人もいますよね。
本来のカメラの役割は後者ですが、19世紀後半、つまりカメラが世に普及し始めた頃、前者のような写真を好むフォトグラファもいました。
ピクトリアリストと呼ばれる人たちです。
そしてピクトリアリストの先駆者且つ巨匠として有名なフォトグラファのひとりがジュリア・マーガレット・キャメロンです。
今回は前回に引き続き、ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品についてお話したいと思います。
ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品―肖像画
ジュリア・マーガレット・キャメロンは、理論ではなく実践によって、基本を身に付けながら独自の作風を追求しました。
「習うより慣れろ」派だったのですね。
ジュリアは主に2つの分野を軸に写真作品を制作しました。
そのひとつが「肖像画」です。
ここでは、ラファエル前派の画家のモデルを務めた当世の大女優エレン・テリーの肖像画をご紹介したいと思います。
エレン・テリーについては以前お話したので、興味のある方は読んでみてくださいね
このエレンの肖像画はジュリアがフォトグラファを始めた年(1864)に制作されましたが、既にジュリアが好んだラファエル前派の作風の影響が見られます。
エレンの、伏し目がちでネックレスを掴み壁に寄りかかった憂いを秘めた構図は、まさにラファエル前派の画家が好んだ女性の姿です。
さらに、エレンが寄りかかった壁と彼女の間にできた、写真ならではの自然な陰によって、不安や悲しみといった感情が表現されています。
このように、絵画と同様、ジュリアの「肖像画」作品には、物語性が見られます。
ジュリアは密かにこの写真作品を『悲しみ』と呼んでいました。
というのも、この作品はエレンが16歳の時、なんと30歳年上のジョージ・フレデリック・ワッツと結婚して1週間経つか経たないかの頃、既にエレンが「結婚、失敗した…」と思っていた時に撮影されたからです。
ジュリアも乙女心に共感したのでしょう…かね??
そして、その1~5年後(正確な時期は不特定)、ジュリアはエレンの夫であったワッツの肖像画を制作しました。
ワッツが絵画の制作をしている姿が捉えられています。
ワッツの後方にはワッツ制作の絵画が見られますが、解説がなければ写真全体が絵画?写真?女性は実物?と迷ってしまいそうで、まさにジュリアらしさの溢れる「絵画のような作風」です。
ワッツは、ジュリアがフォトグラファになる以前に彼女の肖像画を描いたことがありました。
後にジュリアはそのお礼として、ワッツの肖像画を複数制作しました。
この肖像画もジュリアからのお礼の作品だったそうです。
芸術家同士だからこそお互いにできる、ステキな贈り物ですね。
ラファエル前派や19世紀後半当時のイギリスの著名人との親交が深かったジュリアは、「進化論」を提唱したチャールズ・ダーウィンからルイス・キャロル作の『不思議の国のアリス』のモデルとなったアリス・リデルまで、様々な分野の著名人の肖像画を制作しました。
私たち現代人が19世紀後半当時の著名人の肖像画を見られるのは、ジュリアのおかげ、といわれるほどです。
ジュリア・マーガレット・キャメロンとラファエル前派
そもそも、ジュリアはどのようにして、ラファエル前派の影響を受けたのでしょうか。
ジュリアは芸術家としてのワッツを尊敬し、様々なアドバイスを貰いました。
「ラファエル前派風」の写真作品を望んだのは、特にワッツの作風の影響が大きいと考えられています。
イギリス人外交官の父とフランス貴族の母の間に生まれたジュリアは、インドで生まれ、子供時代にフランスで教養を身に付け、後にロンドンに移り住みました。
ロンドンでは、ジュリアの妹のサラとその夫が自宅にサロンを構え、知識人同士の交流の場としていました。
そこには、ラファエル前派の多くの画家も足を運びました。
ジュリアもそのサロンに通うようになり、ラファエル前派兄弟団のリーダーであるダンテ・ゲイブリル・ロゼッティ、ロゼッティを慕うラファエル前派のワッツ、唯美主義のフレデリック・レイトン等、いわゆる「前衛的」「カリスマ的」存在である多くの画家や、彼らを慕う著名な詩人や小説家らと親交を深めました。
このように多くのラファエル前派の芸術家との交流が、ワッツへの尊敬と相まって、ジュリアの写真創作への思いを強めたのかもしれませんね。
ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品―物語を主題に
そして、ジュリアと言えば文学や歴史物語、聖書物語、神話といったテーマでの作品創作が外せません!
これらのテーマはラファエル前派の画家らが特に好んだテーマです。
改めて、ジュリアのラファエル前派への敬愛が感じられます。
この写真作品のモデルは、ジュリアの家のメイドであったメアリー・ライアンです。
前回お話した『庭師の娘』のモデルを務めた少女です。
『庭師の娘』以前、ジュリアがフォトグラファを始めてから1年経つか経たないかの頃の作品です。
ジュリアはメアリー・ライアンの美しさに惹かれ、多くの作品でモデルに起用しました。
写真作品のタイトルが『ピエトロ・ペルジーノに倣って』となっているのは、イタリアのルネサンス初期の画家ピエトロ・ペルジーノ( c. 1446/1452 -1523)の作風を参考に制作されたからです。
ペルジーノは、ルネサンス画家として有名なラファエロ・サンティの師でもありました。
このペルジーノ作の『天使と聖母子』(元々は三連祭壇画の中央パネル部分)は、「ナショナル・ギャラリー」所蔵ですが、現在、国立西洋美術館で開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」では展示されていない非常に貴重な作品です(三連祭壇画は祈祷用に制作され、教会の祭壇画として飾られるものなので、国を越えて展示するのはかなり難しいと思われます)。
ジュリアは他の知識人と同様イタリア絵画の知識も幾分持ち合わせており、ペルジーノの作風を好んでいたことから、その作風を参考に写真創作をしました。
ペルジーノの描く柔らかく優しさのある聖母マリアの姿に惹かれ、そこからインスピレーションを受けたようです。
※この『天使と聖母子』は、ペルジーノの作風の例として取り上げています。
イギリスの美術界ではラファエルの絵画の在り方を「正統派」としており、それに反発を覚えたラファエル前派兄弟団はその名称通りラファエル以前の作風を好みました。
同時に、ラファエル前派兄弟団の信条は「より自由な独自の作風」を大切にすることでした。
テーマが「聖書物語」の一場面であっても、伝統的な様式に縛られない、自由な作風や発想で作品制作を目指しました。
自由奔放で型破りな性格と言われていたジュリアも、ラファエル前派兄弟団の信条と同じく、元々ある題材を「独自の作風」で表現することを大切にしていたのですね。
そして、モデルのメアリーの纏っている衣装も、ラファエル前派が好んだ「エステティックドレス」っぽい感じがします。
『庭師の娘』と作風は異なりますが、美しい写真作品ですね。
このように、特定のテーマで人物を使った写真作品を創作する際には、イメージにはじまり、その作品に合うモデル、衣装、小物、背景、ポーズ、ヘアスタイル、光の加減…
様々な要素を総合したオリジナリティ溢れる構図で創り上げるので、写真作品のなかで最も芸術的な類のひとつと言われています。
ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品が今も愛され憧れられる理由は、彼女の作品の美しさだけでなく、「絵画のような写真作品」の創作の裏にあるこういった様々な要素に魅了されるから、かもしれませんね。
ジュリア・マーガレット・キャメロンの作品はネットにたくさん掲載されているので、興味ある方は調べてみてくださいね。
テーマ性のある作品が好き!という方は、「アルフレッド・テニソン」「ジュリア・マーガレット・キャメロン」の2つのキーワード検索をすると、舞台のような、幻想的な写真作品をさらにたくさん見られるかもしれません。
次回は、ミレイ作の『オフィーリア』をはじめ、いくつかの絵画について、より身近な観点からお話をしたいと思います。
[参考サイト]
http://fannycornforth.blogspot.com/2015/07/mary-mary-maids-of-tennysons-isle-julia.html
https://juliamargaretcameronsecession.wordpress.com/2014/08/14/julia-margaret-cameron-the-muses-part-two/
http://www.victorianweb.org/photos/cameron/4.html