19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ vol.21【ピクトリアリズム-前編】

皆さん、こんにちは。
近年、スマホのカメラやデジカメなど、携帯しやすいカメラの発達によって、ますますカメラが身近な存在になりましたね。
SNSの普及によって、プロアマ限らず様々な人の多種多様な写真を見る機会も増え、「この作風好き!」と憧れることも増えてきたのではないでしょうか。

皆さんはピクトリアリズムという言葉を耳にしたことはありますか。
「ピクトリアリズム/ pictorialism」とは、19世紀後半から20世紀初頭に撮影された「絵画のような写真」のことを表します。
19世紀後半、イギリスで日常にカメラが浸透しつつある時代(といっても、技術の面からフォトグラファはまだ一部に限定されましたが)に誕生した、写真の作風・様式のひとつです。
私の場合は街を歩いている際にピクトリアリズムの展示会に偶然出会い、一瞬で惚れました。



「ピクトリアリズム」の誕生

19世紀後半のイギリスといえば、絵画をはじめ、様々な芸術文化が栄えた時代です。
ラファエル前派兄弟団(1848-1854)がイギリスの伝統的で正統派とされていた絵画の在り方に異議を唱え、より縛りのない画法やより自由な発想で絵画を描いたことによって新しいイギリス芸術が誕生しました。

ラファエル前派兄弟団の中心メンバーである3人の画家ダンテ・ゲイブリエル・ロゼッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ、ウィリアム・ホルマン・ハントは作風の方向性の違いから数年で解散し、その後はそれぞれの作風を追求していきました。
ラファエル前派兄弟団の絵画に影響を受けた画家らによって、19世紀後半のイギリスでは「ラファエル前派」や「唯美主義(耽美主義)」「デカダンス」などの絵画の作風や絵画様式が次々と誕生しました。

一般的には、ロゼッティ、ミレイのいずれかの影響を受けている画家が大半のように思われていますが、実際のところ誰がどの様式に属しているか、という括りは曖昧なところがあります。
しかしながら、ラファエル前派兄弟団を源流としてイギリス芸術の華が開いた、ということには疑いの余地はありません。
19世紀後半のイギリス芸術は絵画にとどまらず様々な芸術分野で最盛期を迎え、海外の芸術家にも影響を与えました。

前置きが長くなりましたが、そのような時代背景のなかで、「カメラ」が台頭しました。
19世紀前半に発明されたカメラは、改良に改良を重ね、19世紀後半には実用化されるところまで発達しました。
カメラの普及に伴って、「フォトグラファ」もポツポツと現れました。
当時は既に他の職業についている人たちがフォトグラファとして活躍することも稀ではありませんでした。
例えば、画家ジョン・ロバート・パーソンズは、ロゼッティ監督の下、ジェーン・モリスを撮影したフォトグラファとして、また、『不思議の国のアリス』の作者として知られるルイス・キャロルもフォトグラファとしても活躍していました。

「カメラマン」と「フォトグラファ」

さて、ここで現代に戻って、ちょっと想像してみてください。
現在、日本では、カメラで撮影をする人たちのことを、大抵はカメラマンもしくはフォトグラファのどちらかの名称で呼んでいますよね。
両者はどう違うのでしょうか??

主観的には、カメラマンは「職人」、フォトグラファは「芸術家」といったイメージがあります。
他人のニーズに忠実に答えるか、自身の作風を追求するか、といった違いです。
例えば、カタログの掲載商品は、できるだけ実物に忠実に撮影することが求められます。
自身の作風で撮影すると物語性は生まれますが、「実物とイメージが違う」といった理由で商品を購入したお客さんから返品されてしまいます。
一方、「この人の写真が好き!」というのは、その撮影者特有の作風に魅力を感じるからですよね。
中には、「カメラマンさんですか?」と尋ねられると「フォトグラファだけど!」と返す人もいるとか。

因みに、英英辞典(コウビルド)では、cameramanは動画を撮影する人、photographerは写真を撮る人、となっていました。
確かに日本でも、TVや映画でもカメラマンって言いますね!
日本語と英語では意味合いがちょっと異なるのですね。
う~ん、言葉って複雑です。

「ピクトリアリズム」って何?

時を戻して、19世紀後半のイギリスの一部の写真撮影者にも写真の撮影に対する葛藤がありました。
現代とは違った点で、です。
上記したように、英語では写真を撮る人はphotographerと呼ばれるので、ここからはフォトグラファで統一していきますね。

「写真」は、それまで絵画が担っていた「ありのままを記録する」という役割を受け継ぐことになりました。
歴史的な出来事や肖像画、商品などが例として挙げられます。
19世紀後半のイギリスは、まだまだカメラの操作が難しかった時代です。
目新しい機械の操作スキルを駆使し、できるだけ実物に忠実に「写真」という形で記録するいわゆる「職人」としての役割がフォトグラファに求められました。

しかしながら上記したように、芸術家がフォトグラファを兼任することも稀ではありませんでした。
芸術を愛する者にとって、写真は科学によって作られた人工物でした。
つまり彼らにとって写真は、機械にすぎない…
芸術のような、人の手によって時間をかけて創出された「作品」とは程遠い!
作風がない!
一瞬で出来上がる!
だから芸術じゃない!
という「芸術より劣った存在」だったのです。
ほしたら、フォトグラファやめればいいやん、と言われちゃいそうですが、写真をなんとかして芸術という分野に昇華させたい、と考える人たちもいました。
カメラがまだ存在していなかった時代において、絵画が写真の役割をしていたなら、カメラの発明された時代には、逆に写真が絵画の役割をしてもいいのではないか、絵画のように「作風」があってもいいのではないか、そのように考えた芸術家兼フォトグラファによって生み出されたのが「ピクトリアリズム」でした。


上記の写真には、なんとなく絵画のような美しさが感じられます。
ロゼッティの作風に影響を受けた、年の差婚でも知られる画家ワッツの肖像画です。

ピクトリアリズムのフォトグラファとして有名なジュリア・マーガレット・キャメロンによって撮影されました。
ジュリア・マーガレット・キャメロンは、「ラファエル前派」(ラファエル前派兄弟団や、彼らの作品に影響を受けた芸術家ら)と親交の深いことでも知られています。
実際、ピクトリアリズムとラファエル前派には密接な関係性があります。
次回は、ピクトリアリズムについてもう少しお話を進めていきたいと思います。

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