19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ Vol.5【枯れた花―後編】

皆さん、こんにちは。
今回は、前回に引き続き、個人的に大好きな枯れた花、枯れかけた花、ドライフラワーといった「枯れ」系の花や美しく咲いた大輪の「牡丹の花」と「デカダンス」の共通項についてもう少しお話を掘り下げていきたいと思います。

19世紀末芸術のキーワードのひとつである「デカダンス」は、ロンドン、パリ、ウィーンなど、様々な西洋諸国の芸術に広がりを見せます。
しかしながら、芸術はその発祥地の社会状況や思想を少なからず反映します。
そのため、ひとことで「デカダンス」といっても、その芸術の在り様は多彩です。
ここでは、イギリス、主にロンドンを中心とした「デカダンス」についてお話していこうと思います。

イギリスというと、ひょっとしたら芸術のイメージがあまりないかもしれませんね。
実際、芸術は国の繁栄に比例して栄える傾向にあるため、イギリス芸術が栄華を極めたのは19世紀半ば以降です(ここでの芸術はクラシカルな意味合いです)。
イギリスではいちはやく産業革命がはじまり、ヴィクトリア朝時代のロンドンで1948年に結成された画家を中心としたラファエル前派兄弟団を源流とした芸術が栄えていき、イギリス絵画の世界ではやがて、「唯美主義(耽美主義)」が流行していきます。

ラファエル前派兄弟団は、それまでの絵画の伝統である「宗教」「神話」などの主題や特定の画法に則すといった縛りを超えて、より多彩な主題で、より自由な画法で描きました。
唯美主義においては、「美しいものはただそのためだけに存在する」「何を美と捉えるかは個々の自由である」という概念が中心にありました。

Ophelia,1851-2
Sir John Everett Millais
油彩
テート・ブリテン蔵

※画像は以下より引用させていただきました
https://www.tate.org.uk/art/artworks/millais-ophelia-n01506

つまり、「美しいもの」はそれだけで価値があるという考え方を芸術という形で表した、ということです。

皆さんは、どんなものに美しさを感じますか。

バラの蕾、満開のバラ、地面に散った桜の花びら、雨に濡れた紫陽花…花を例に挙げても、どんな美しさに惹かれるかは十人十色だと思います。
唯美主義の画家たちも、私たちと同様、萌えポイントはそれぞれだったと思います。
が、私たちと異なるいちばん大きな点は、時代背景ではないでしょうか。

19世紀半ばには、産業革命による工業化や都市人口の増加といった近代化に伴って、環境汚染やそれによる公害、都市のスラム化や犯罪率の増加といった、現代にも通じる社会の「闇」があふれていました。

また、現代の「闇」のひとつである精神的な「病み」も近代化とともに増加し、社会問題のひとつとなりました。
実際、19世紀前半には「精神病院」なるものが多数建てられました。
私たち現代人が森や海などの自然に癒しを求めるのは、現代人の「体」はまだ原始時代のままだから、と言われています。
人類の誕生から現代までを100とすると、99までが産業革命以前、残りの1が産業革命後にあたります。
私たちの祖先は、長い年月をかけて、自然選択、つまり、周囲の環境に合うよう進化してきました。
人間の寿命は他の生き物と比べて長い分、進化もゆっくりです。
ということは、100のうち「1」という短い期間で近代化した環境に対して、人間の体はまだ追いつくことができていないという仮説が立てられます。

ですから、19世紀のロンドンに暮らしていた人たちも、私たち現代人も、体がまだ本能的に自然を欲していて、近代化した環境に依然として馴染んでいないのではないでしょうか。
そして、衛生面での対策がまだ整っていなかった19世紀のロンドンでは、汚染や公害により、体や精神に異常をきたした人々も多く暮らしていました。
心が病めば犯罪も増加することは既知の事実です。

※画像はhttps://www.smithsonianmag.com/travel/how-charles-dickens-saw-london-13198155/から引用させていただきました

このような、近代化という明るいヒカリの裏側には、闇が病みが~!!と表裏一体。
そして、こういった社会に生きた芸術家らの見た「美しさ」は人それぞれだったことでしょう。
唯美主義の画家、と一言でいってもその定義はちょっと複雑なようです。
実際のところ、ラファエル前派兄弟団の中心メンバーの画家の3人である、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイは、絵画の方向性の違いからやがて解散してしまいました。
その後、主に、ミレイを慕う派とロセッティを慕う派の画家らが次世代を担い、「唯美主義」「第二次ラファエル前派」といった作風に繋がり、それらは作風が重なることも多く、バシッと主義や派閥を線引きできない、というのが実際のところらしいです。
そして、こうした作風の絵画の中に「デカダンス」的要素が見られます。

Cinderella,1881
Sir John Everett Millais
油彩
個人蔵

※画像は以下から引用させていただきました
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/86/John_Everett_Millais_-_Cinderella.jpg

社会のヒカリと、その裏に見える闇、近代化を極めたヴィクトリア朝時代のロンドンに対する感じ方、そして、以前には絵画には見られなかった、日常における「生」と「死」といったより身近なテーマが解禁されたこと等によって、「美」の観念は多様化していきます。
デカダンス、つまり「退廃的、堕落的という意味合いには、ヒカリの中に見える闇、闇の中に見えるヒカリ、その両者の中に見いだされた「美しさ」が含まれている」というのがロンドンを中心とした19世紀後半からの流れを含む一連の絵画にみられるイギリス世紀末芸術の特徴である、と個人的には解釈しています。
このように、絵画を中心とした、イギリスの世紀末芸術には、枯れ系の花や牡丹の花にみられるかつては栄華を極めたモノの散りゆく「死」を連想させる美しさを感じています。

さらに、個人的には、その両者からは「ファム・ファタル(宿命の女)」の美をも感じられずにはいられません。
「ファム・ファタル」については、「魅了」ゆえの「堕落」「破滅」「死」等とも関連性があるのでまたの機会にお話したいと思います。
次回は、西洋諸国のデカダンスについてざっくりとお話ししていきます。

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