19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ vol.30【魅力あふれる『倫敦塔』-後編】

皆さん、こんにちは。
2021/SSパリ・コレクションが始まりましたね(2020/09/28-10/06)。
今年は新型コロナウィルスの影響で、オンラインでの開催となりました。
まだ配信動画を見ていないのですが、毎回、夢のような異世界へ連れて行ってくれる美しいコレクションに魅了されています。

私は近年開催された中で、特に魅了されたコレクションがふたつあります。
ひとつはDolce & Gabbanaの2019-20/AWオートクチュールコレクションです。
ショーはイタリア・シチリア島にあるコンコルディア神殿で行われました。
古代遺跡と自然風景の美しさの中で、時には時代をさかのぼり、時には異国情緒があふれる美しい衣装と美しいモデルという「美」のオンパレードは何度観ても魅了されます。

もうひとつは、ミラノで開催されたGUCCIの2020-21/AWウィメンズコレクションです。
円形の舞台の中央には、メイクアップやフィッティングの風景、いわゆる「裏方」の光景が見られ、舞台の先頭にはたくさんのモデルが円を描くように、入れ替わり立ち代わりズラリと並んでいました。
ファッションショーの一部を担い動き回る裏方さんの光景と、それを囲むかのように、とても可愛らしく、どこかファンタジックな雰囲気の衣装に身を包み、マネキンのように微動だしないモデルとのコラボレーションがとても美しく、幻想的な世界に入ったような印象を受け、このショーを観る度に心が躍ります。

コレクション動画を観る度に思うのですが、「美しさ」は万物に存在していて、その中にある何に対してどれだけ美しさを感じるか、という感性次第で見える景色も自身の「美」に関する考え方も変わってくるんだろうなと。

審美眼は感動や幸福を増やすために欠かせないと感じます。
そして、何に対して美しさを感じるかは人によって違うので、自分にとっての美しさをお互いに伝え合ったり、ファッションやメイクアップ等、外見で表現したり、なんらかの作品で表現したりすることで個性が生まれるのかな、と感じています。

前回お話した『倫敦塔』には、怪奇的な部分がありながらも、美しさを感じます。
ひょっとしたら私は、美しさを感じるものを文章にして伝えたいと無意識に思っているのかもしれません。


今回は、前回に引き続き夏目漱石著作の短編小説『倫敦塔』についてお話したいと思います。
漱石は世紀末思想の溢れるロンドンに2年間(1900-1902)留学をしました。
帰国後、ロンドンで出会った文学や絵画といった芸術作品の影響が色濃くみられる小説を複数生み出しました。そのひとつが『倫敦塔』です。

『倫敦塔』は史実と架空の入り混じった世界から構成される怪奇的タイムトラベル小説です。

物語では、主人公が下宿先から外出し、ロンドン塔に向かい、下宿先に戻るまでの行程が描かれています。
主人公は漱石自身で、舞台は漱石のロンドン滞在時(1900-1902)です。
ロンドン塔に着くといつの間にか15世紀から17世紀の頃にタイムリープしていた、という設定です。



ジェーン・グレイと『倫敦塔』

皆さんは、レディ・ジェーン・グレイという名を耳にしたことはありますか。
彼女は「9日間の女王」と称されるイングランド史上初の女王です。
「怖い絵展」(2017, 巡回展)に足を運ばれた方は、彼女が描かれた絵画を目にされたのではないでしょうか。

こちらの絵画です。
フランス出身の画家ポール・ドラローシュ[Paul Delaroche/1797 – 1856]によって描かれた『レディ・グレイの処刑』です。

The Execution of Lady Jane Grey, 1833
Paul Delaroche
油彩, ナショナルギャラリー
[画像引用元]https://www.wikiart.org/en/paul-delaroche/the-execution-of-lady-jane-grey-


この絵画はロンドンにある美術館ナショナルギャラリーに展示されています。
漱石はこの絵画を直接目にし、魅了され、『倫敦塔』のストーリーに取り入れました。

主人公はロンドン塔でレディ・ジェーン・グレイ[Lady Jane Grey /1537-1554]の幻影を見ます。
9日間だけ女王の地位につき、わずか16歳でロンドン塔で処刑された悲劇の女王です。

主人公は、16世紀半ばの時代に迷い込んだのですね。

この絵画には

「布切れで目隠しをされたジェーン・グレイが、両手で断頭台を手探りで探している。台の前方に藁が散らしてあるのは、流れる血が床に広がるのを防ぐためである。背後の壁にもたれてふたりの待女が泣き崩れている。手前の待女の膝あたりには、ジェーン・グレイが身に付けていた上着とジュエリーが置かれている。彼女の左手の薬指には結婚指輪がはめられている。法衣を着た司祭が、うつむいて彼女の手を台の方へと導く。」

という場面が描かれています。

『倫敦塔』では、この絵画の場面自体はありのまま描写されています。
史実では処刑は野外で行われましたが、この絵画では薄暗い屋内で処刑される姿が描かれています。

この場面の後には以下のように、漱石によるオリジナルストーリーが展開されます。
今回はわかりやすいよう現代語訳として書かせていただきますね。

「目は隠されているが、先ほど見かけた、幼い男の子を連れた女性だと気づいた。思わず駆け寄ろうとしたが、足がすくんで歩けない。
彼女はようやく断頭台を探り当てた。先ほど、男の子に悲しげにダッドレーの紋章を説明していた時の姿と全く同じ姿をしている。彼女は首を少し傾けて、『私の夫ギルドフォード・ダッドレーはもう神の国に行ったのであろうか』と司祭に尋ねる。……彼女は落ちるように首を台の上に投げかけた。首斬り役が重たそうに斧をエイと振り下ろす。私の膝あたりに数滴の血が飛び散る、と思った瞬間、すべての光景が忽然と消えた。」

主人公はジェーン・グレイが処刑されるより前に、ロンドン塔の敷地内で彼女を見かけていました。
「ダッドレーの紋章」とは、彼女の夫ギルドフォード・ダッドレー、つまり彼女の夫の家系の紋章です。

漱石の描いたストーリーでは、ジェーン・グレイは夫ギルフォード・ダッドレーを愛していますが、実際には…そうでもなかったようです。

ジェーン・グレイは、なぜ処刑されたのか?

ここからは、ジェーン・グレイがなぜ処刑されたのか、史実をお話したいと思います。

レディ・ジェーン・グレイはイギリス王室の家系に生まれ、王位を継ぐ可能性のある女性でした。
そこで、貴族であるギルフォード・ダッドレーの父親が息子をジェーン・グレイ
と結婚させ、汚い手を使ってジェーン・グレイとギルフォード・ダッドレーを王位につかせました。

しかしながら、ギルフォードの父親の陰謀に気付いたメアリー1世が反逆に出ます。
メアリー1世と言えば、トマトジュースを使った真っ赤なカクテル「ブラッディ・メアリー」の由来の人物です。

メアリー1世も王位継承者候補のひとりだったため、ギルフォードの父親が彼女を手にかけようとしたのです。

なんとか逃げ切ったメアリー1世は、自分が王位につくことを宣言し、ジェーン・グレイとギルフォード・ダッドレーを王位から引きずり降ろそうとしました。
ふたりはロンドン塔に幽閉され、ギルフォード・ダッドレーはメアリー1世のためらいのない処刑命令により、殺害されました。

しかしながら、ジェーン・グレイには何の罪もありません。
王位継承争いに巻き込まれたかわいそうな、まだ16歳の少女です。
メアリー1世はジェーン・グレイにある条件を提示し、処刑を取りやめる温情をみせました。

その条件とは
「プロテスタントであるジェーン・グレイが、カトリックに改心すること」
でした。

ブラッディ・メアリーの由来となったメアリー1世は即位後、プロテスタントの信仰者を大量虐殺したことで知られています。
女子供容赦なく、何百人ものプロテスタントが処刑されたのです。
「プロテスタントだから」
という理由だけで、です。
カクテルの名の通り、「血の滴るメアリー」ですね。

メアリー1世は、なぜそこまでプロテスタントを憎んでいたのでしょうか。

それは、彼女の父親であるヘンリー8世が原因です。

イングランドは、ローマ教皇を最高位とする正統派カトリック信仰国でした。
ヘンリー8世は即位後、妻以外の女性とも恋をしました。妻の待女だった女性もいました。
しかしながら、カトリックでは、離婚は許されていません。
そこで、ヘンリー8世は自分が自由に恋愛したり離婚や再婚をしたりできるよう、イギリス国教会と称されるイギリス独自のプロテスタントを立ち上げたのです。
プロテスタントという言葉は、「(カトリックに対する)反抗」の意味です。

ヘンリー8世は恋愛や再婚し放題です。
しかも新しい恋人ができると、前妻を毒殺したり突き落としたりして、かつて愛した女性たちを殺害しました。
ヘンリー8世は10人近くの女性と恋愛したと言われています。うち、正妻となった女性は6人と言われています。

そんな残酷な父親を見てきたメアリー1世は、父親だけでなく、プロテスタントも憎むようになりました。

父親の卑劣さや身勝手さをずっと目の当たりにしてきたメアリー1世、ちょっとかわいそうです…。

後に何百人ものプロテスタントを処刑したメアリー1世ですが、ジェーン・グレイに温情をみせたのは、ジェーン・グレイの境遇に同情を示したからでしょうか。
メアリー1世派閥がジェーン・グレイの処刑を望む声にもかかわらず…。

しかしながら、プロテスタントの血筋を受け継いできたジェーン・グレイは、カトリックへの改心を拒み続けました。
そのため、メアリー1世は、メアリー1世派閥の意向をとめることができず、ジェーン・グレイは処刑されることになりました。
これが、「9日間の女王」と呼ばれるまでのいきさつです。

身勝手な理由で法を変えたり、処刑したりする権力者って怖いですね。
確か、フランスの貴族の女性だったと思いますが、ピンクが大好きで、自分以外の女性に「ピンク禁止令」を出した人もいます。

ジェーン・グレイの生涯は『レディ・ジェーン/愛と運命のふたり』というタイトルで映画化されており、購入することができます。興味ある方は観てみてくださいね。

『倫敦塔』についてはお話したいことが多すぎて書ききれませんでした。19世紀後半のイギリス芸術との関連もまた別の機会にお話したいと思いますが、最後にひとつだけ、サラっとお話します。

『倫敦塔』の1文1文の文末に込められた思い

漱石はロンドン滞在を楽しんでいたように思えますが、それは芸術という点においてのみだったそうです。実際、「ロンドンでの生活は不愉快極まりない」といった主旨の言葉を口にしています。

その思いは、『倫敦塔』の1文1文の文末に表れています。過去形で終わる文と現在形で終わる文が混在しているのですが、漱石は、現実を過去形で、幻想を現在形で表現しているのです!

ロンドンでの現実の生活から逃げたくて「過ぎ去ったこと」にし、倫敦塔で経験した大好きな幻想世界が「今目の前で継続している」ことを夢見て、時制を逆にしたのです。

これは私の発見ではありません。小説の解説箇所を読んで、なるほど!と、印象深かったのでお話させていただきました。

次回は、19世紀後半の絵画界が垣間見られるひとつの絵画についてお話したいと思います。

[主要文献]
夏目漱石(2011) 『倫敦塔 幻影の盾 他五篇』岩波書店 249pp., 改訂版

※以下、大学院在籍時の参考文献
[参考文献]
書籍
板垣直子(1984) 『漱石文学の背景』日本図書センター 235pp. (日本近代作家研究書41)
Gates, Barbara T (1999) 『世紀末自殺考―ヴィクトリア朝文化史』桂文子他訳
英宝社356pp.
原著名 Victorian Suicide: Mad Crimes and Sad Histories, 1988
出口保夫(2006) 『漱石と不愉快なロンドン』柏書房 304pp.
出口保夫, Watt, Andrew編著(1995) 『漱石のロンドン風景』中央公論社 297pp.
(て43中公文庫 880)
Trafford, Jeremy (2004) 『オフィーリア』安達まみ訳 白水社 327pp.
原著名 Ophelia, 2001
Natsume Soseki. The Tower of London –Tales of Victorian London.
Flanagan, Damian. trans. and intro. London; Peter Owen Publisher, 240p.
松村昌家編「二 英国ヴィクトリア朝の日本趣味と明治芸術のラファエル前派受容
―中世主義と装飾芸術を結び目として(山口惠里子)」
『日本とヴィクトリア朝英国―交流のかたちー』45-107pp.
研究論文
加納 孝代(1988) 「夏目漱石『倫敦塔』 : 塔橋をめぐるレトリックの意味」
『青山學院女子短期大學紀要』vol.42, 121-142pp.
日置 俊次 (2008) 「夏目漱石論 : オフィーリアと『胎感覚』」
『紀要/青山学院大学文学部』vol.50, 1-23pp.
山本 勝正 (1985) 「漱石『草枕』論 : 画の完成をめぐって」
『広島女学院大学国語国文学誌』vol.15, 9-22pp.

参考サイト
http://www.w-kohno.co.jp/contents/book/natsume04.html (2014/06/21アクセス)
http://kikisrandomthoughs.blog63.fc2.com/blog-entry-680.html(2014/06/21アクセス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E5%A1%94 (2014/06/21アクセス)

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