「赤い長靴」江國香織 薄いガラスで隔たれているような夫婦の日常
A子の話
A子のご主人は小さな会社を経営している社長さんで15才年が離れています。
このご主人、A子が友人と食事に行ったり呑みに行ったりすると、30分に1度の間隔で電話をしてくるようです。
しかも状況を確認したいのかiPhoneのFaceTimeを使ってかけてくるらしい。
「何時に帰る?迎えに行く?」
飲み会が始まったばかりなのにそんな感じみたい。
華やかな美人さんでスタイルもよい奥さんが心配でならないのでしょうか?
A子が電話に出ないと小2の子供のキッズフォンからかけてくるようです。
出掛ける前もあれやこれやというような用事を言いつけてくるようで
「3日後の出張の用意は済んでいるのか?」
なんて、今必要?
「いやがらせ状態でいやになっちゃう」
とぼやくA子。
以前は
「それはないよね」
などと話を合わせていたのですが、今は
「へーそうなんだ」
にとどめています。
なぜならば、彼女がご主人の話をしているときは嬉々としていることに気づいたからです。
惚気の延長ですね。
やれやれ。
さて、今回ご紹介する小説は江國香織さんの「赤い長靴」です。
では、あらすじを簡単に
日和子は逍三と結婚して10年になります。
10年という歳月は日和子にとってなんとなく実感がわかない。
新婚ではないし、落ち着いた夫婦でもなく、ただ、ふわふわと寄る辺もなく漂っているよう。
子供がいないということもあるのでしょう。
どちらかというと無口な日和子ですが逍三には日々の出来事などを話します。
ですが、逍三は全く聞いていません。
自分の話が伝わっていない時、話が全くかみ合わない時、日和子はクスクス笑ってしまいます。
2人でいても1人でいるよりも寂しい。
諦めと悲しみのクスクス笑い。
「ほんとうのこと」を言ってはいけない。
「ほんとうのこと」が危険なのは、結論はつねに明白だから。
危ういバランスで保たれている夫婦の日常が描かれる、14編の短編連作集です。
作品情報
作者の江國 香織さんは1987年の『草之丞の話』で童話作家としてデビューしました。
その後、『きらきらひかる』『落下する夕方』『神様のボート』などの小説作品で人気を得て、2004年、『号泣する準備はできていた』で直木賞受賞しました。
『冷静と情熱のあいだ』は作家であり音楽家でもある辻仁成さんとのコラボレーション作品です。大人の恋愛を繊細で美しく描きあげています。
どこにでもいるような、いないような
物語は日和子と逍三夫婦の日常が淡々と、描かれています。
どこにでもいるような結婚10年目の夫婦。
しかし、あまり生活感が漂ってこない不思議な空間。
料理をしたり洗濯ものを畳んだりしている場面は確かに日常。
しかし、日和子の目線で描かれる1日は、絶えず逍三のことを思っているからでしょうか?
とても閉塞した奇妙な閉塞感のある世界観だと思いました。
「逍ちゃんのいるときよりいないときの方が、私は逍ちゃんを好きみたいだ。」(江国香織『赤い長靴』株式会社文藝春秋、2008年、76頁)
日和子はそのことに打ちのめされるのですが、私はとても共感してしまいました。
“会いたい時間が愛を育てる”確か昔の歌の歌詞にありましたね。
ふと、心に浮かんできました。
脱いだものは置きっぱなし、風呂上り身体をよく拭かずにベッドに寝そべる、バナナの皮をそのまま床に捨てる、話を聞かない…。
「こんな夫は嫌だ」
の見本のような逍三。
しかし、彼の目線で描かれる話は、世間と自分の間に膜があるような生き辛さが感じられ、不器用ながらも日和子をいとおしく思っていることがわかります。
一方で日和子も自分と夫以外を冷めた目線で傍観しており、膜の内側の人なのだなと感じました。
透明感あふれる繊細な文章はとても詩的で美しく、静かな余韻が残るそんな作品です。
赤い長靴
著者:江國香織
出版社:文藝春秋
発行:2005年1月15日
※画像はAmazonより引用させていただきました