小説「おめでとう」ほんのりと熱を帯びたような恋愛小説集 川上弘美著
荒ぶる母
自粛生活が続く連休明けのある日、母が体調を崩した。
その日は朝から天気が良く、母は日課の散歩に出かけました。
しかし家から100メートルほど歩いた時、今まで感じたことのない息苦しさと、激しい動機に襲われたようです。
すぐに病院に連れていったところ、心臓疾患の疑いがあるとのことでした。
息苦しさを軽減させるためにニトログリセリンも処方されました。
「いよいよ、私の人生も終わり」
元々ネガティブな母は更に落ち込み、それにつられるように私たち姉妹も落ち着かず…。
しかし、それから1週間後、診断結果を聞きに行ったところ
「心臓は特に異常はなし」
とのことで一安心。
しかし、一つ問題があったようで、診断結果を印刷したカルテのコピーには
「過活動暴行」
と記載されていました。
母、いつ暴れた?(正しくは“過活動膀胱”)
動悸と息切れはどうやらストレスのようです。
新型コロナウイルスによるパンデミックが起きている状況下、80代の母は命を脅かされる脅威に対して、とてつもない恐怖を感じていたのでしょう。
少しでもストレスが軽減されるように、母の日には三女夫婦が大きな一人掛けソファーをプレゼントしてくれました。
ふんぞり返ったようにそこに座る姿は、さながらマーロン・ブランド演じるゴッドファーザーのよう。
とてもうれしそうに座っています。少しはストレス減ったかな?
さて、今回ご紹介する小説は川上弘美著「おめでとう」です。
では、あらすじを簡単に
いつぞやはあたしをあいしていたはずなのに、知らない男と結婚してしまったタマヨさん。長年の強情をさっぱりと捨てて10年ぶりにタマヨさんに会いに三島へ行く。(いまだ覚めず)
夏の終わりの川べりで、一郎の膝に半身をあずけたわたしは、一郎の目を見ているうちにじんわりと涙がでてきた。
こんな瞬間はもうないような気がして…。
「一郎、こういうときがまた来るかな」鴫が、やたらにちいちい鳴く。(川)
いつか来る終わりの前の、切なく愛おしい瞬間を、繊細に切り取った12編の短編集。
作品情報
作者の川上弘美さんは、1958(昭和33)年、東京都生れです。
1994(平成6)年「神様」で第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞しデビューします。
1996年「蛇を踏む」で芥川賞を受賞しました。
2001年谷崎潤一郎賞を受賞した『センセイの鞄』は、中年女性と初老の男性との淡い恋愛を描きベストセラーとなりました。
小泉今日子さんと柄本明さんでドラマ化もされています。
彼女は、幻想的な世界と日常が織り交ざった描写を得意としています。
なるほど「おめでとう」には幽霊も出てきます。
でもしっくり馴染んでいて、ちっとも怖くないのです。
独特の言葉のセンス
12編の短編に出てくる登場人物は、ほぼ全員中年の女性たちなのですが不思議と年齢を感じさせません。
軽やかで優しく、柔らかな文体だからかな?
そして皆さん恋愛中。
しかも女性同士だったり、不倫中であったり。
しかし、これもまた不思議。
物語の登場人物たちが奇妙で不本意な状況を受け入れるように、さらりと淡々と描かれている関係に、私たちもすんなりと物語の世界に溶け込むような感覚を抱きます。
一つ一つの言葉が美しく、ふと詩を読んでいるのではないかと錯覚してしまいます。
昔の白黒映画に出てくる登場人物たちのような、いささか古めかしい言葉遣いも、ゆるゆるとした独特の世界観にあっています。
個人的には「天上大風」が好きです。
”論理的思考をする者“である主人公の女性は結婚13年目にして、夫に別の愛する人が出来たといわれ、離婚を切り出されます。
離婚中止を求めたり、慰謝料を求めたり、わめく、恨む等々の方法も思いついたのだけれど、彼女の綿密な論理的思考を展開した結果が
「めんどくせえ」
でした。
様々に思考を巡らせた結果が「めんどくせえ」とは、なんだか潔い気がしてクスッと笑ってしまいました。
そんなそこはかとないユーモアも随所に散りばめられています。
“心が疲れた時”用にいつも手元に置いておきたい、ほっこりとじんわりと暖かくなるような作品です。
おめでとう
著者:川上弘美
出版社:新潮社
発行:2003年6月28日
※画像はAmazonより引用させていただきました