小説「嗤う伊右衛門」京極夏彦著

私が若い頃、同じ職場にいた通称「パトラさん」。
アラフォーでシングルマザーだったかな。

パトラさんは仕事をしません。
チーフなのに。
面倒な仕事は人に丸投げ。
「パトラ」は「クレオパトラ」の「パトラ」です。
なぜならば、眼を黒のアイラインでグルっと囲んでいるから。
吸い込まれそうな大きな瞳で、眼力ハンパないです。
怖いです。
ファッションにもこだわります。
例えるなら数年前のブルゾンちえみスタイル。
スカートは絶対タイト。
身長もありスタイルがいいので自分の持ち味を最大限に活かしています。

でも仕事はしない。
極彩色の南国の鳥のようにパタパタとあちこちに顔を出し、自分の主張だけを垂れ流して去っていきます。
ヒールの音を響かせて。
否定されたり、反抗されると
「私、パートなんで!」
という決め台詞を投げつけます。
そして3時に帰ります。
嫌な女の見本のようでもある彼女。
でも、なぜか心底嫌いになれないのが不思議でした。
おそらく、誰に何を言われようが、頑なに己を貫く姿勢に畏怖のようなものを感じていたからでしょうか?

さて今回ご紹介する本は京極夏彦著「嗤う伊右衛門」です。
簡単にあらすじを。

~あらすじ~
小股潜りの又市は、足力按摩の宅悦に、民谷又左衛門の娘、岩の仲人口を頼まれます。ある一件で窮地に立たされた又市らを救ったのが又左衛門だったのです。不慮の事故で隠居を余儀なくされた又左衛門は、家名断絶の危機にあるといいます。しかし、1年ほど前に酷い疱瘡(ほうそう)を患った岩。顔は崩れ、髪も抜け落ち、腰も曲がるほど醜くなっていました。又市は、窮地に立たされた時の助っ人浪人、境野伊右衛門を民谷家の婿に斡旋するのですが…。

この作品は四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』(顔面血まみれのお岩さんが「うらめしや~」と出てくる怖い話)をベースに、ミステリー作家京極夏彦が大胆にアレンジした小説です。

作者はこの作品で1997年に第25回泉鏡花文学賞を受賞しています。
代表作に百鬼夜行シリーズがあります。

この物語は主人公伊右衛門を軸に、章ごとに語り手が変わります。
登場人物それぞれの視点から語られる物語は、ボタンを掛け違えたように思いのズレが浮かび上がってきます。
人の闇の部分、卑劣さ、怒り、情念、狂気などが作者によって丹念に描写されているので、四谷怪談の人を怖がらせる怪異とは別の恐ろしさを感じます。
本当に怖いのは幽霊なんかではなく人間なんだと。

そして、「東海道四谷怪談」ではお岩さんを酷い目に合わせる極悪人の伊右衛門は、この作品では寡黙でとても不器用な人として描かれています。
どこか影のある優しい人。
でも、すべてを受け入れるので流されるままの人にも見えます。

一方の岩は1本筋の通った凛とした強さを持つ人です。
疱瘡で醜く崩れた顔も自分の一部と受け入れ
「自分が変わるわけでは無い」
と泣き言の一つも言いません。
凛とした岩の姿は恐ろしく、そして美しい。

伊右衛門に惨殺され幽霊となって復讐をする四谷怪談のお岩を、自分の意志を持つ自立した女性として描くことで人物像が際立ち、物語に深みを与えています。
そんな2人は互いを想い合っているのに伝えるすべを知りません。
歯痒さを感じます。「思春期か!」って。

善良で在ろうとする2人に、周囲の悪意を持った思惑がじわじわと絡み、物語は徐々に悲劇に向かっていきます。
只々、恐ろしくおどろおどろしい怪談話を、京極夏彦は近代風の味付けを施し、ある意味純粋なラブストーリーに仕立て上げました。
ですので、ホラー嫌いな方にもお薦めです。

ちなみに、番長皿屋敷をベースにした「数えずの井戸」という小説も出版されています。
「いちま~い、にま~い」のお菊さんですね。
嗤う伊右衛門を読んで面白いと感じられた方には、是非こちらもお薦めします。

嗤う伊右衛門
著者:京極夏彦
出版社:中央公論社
発行:1997年06月

※画像はAmazonより引用しました。

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