19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ vol.28【ジブリ作品×精神分析学-後編】

皆さん、こんにちは。
唐突ですが、邦画の『ゴジラ』シリーズ(1954初公開)に出てくる架空の怪物「ゴジラ」が象徴しているものは何かご存知ですか?
私は、そもそもそういったことを考えたこともなかったので、その話を聞いた時、へええ!!と思いました。

『ゴジラ』は、第二次世界大戦の終戦から約10年後に制作された特撮映画です。

怪物ゴジラは、1950年代の日本人が共通して持っていた、放射能や空襲への恐怖感を目に見えるカタチにしたものらしいです。
そして、ゴジラの造形は、核兵器による放射能を浴びた海の生き物が怪物になった姿だよ、という話を聞いて、へええええええ!!でした。

人間の恐怖心が「怪物」というカタチで再現されたのか!と。

これは、前回お話した「精神分析学」の観点からの『ゴジラ』の分析です。
もちろん他の学問分野からみれば、また別の発見が見られると思いますが、ここでは精神分析学に絞ってお話しています。

怪物と言えば、他にも例えば…
・洋画の『エイリアン』シリーズ(1979年初公開, 米)に登場する架空の怪物「エイリアン」は異星人を
・小説『フランケンシュタイン』(1818)の映画版(1931, 米)に出てくる名もなき怪物は人造人間を
・小説『ドラキュラ』(1897)に描かれた「ドラキュラ伯爵」は吸血鬼を…

枚挙するとキリがないですが、フィクションとして描かれる物語に登場する怪物は、それぞれの作品が製作された時代や文化背景と、その時代の人々や創作者の恐怖心や懸念等によって生じた心理が相まって創り出されています。

それぞれの物語に登場する怪物という存在の背景はとても奥が深いんですよ。

このように、精神分析学の観点からみると、物語には何かしらの「象徴」が見られることが多々あります。

そして私は、ジブリ作品には象徴が多く描かれているという印象を持っています。

ジブリ作品と言えば、私が大学院在籍中に、スタジオジブリの代表取締役である鈴木敏夫氏の学術講演会「スタジオジブリの30年―歴史と継承」(2014/09/14 , 愛知県立大学)が開催されました。その講演会では、宮崎駿監督や故高畑勲監督の作品について様々な話をお伺いすることができました。

また同時期に、大学院で映画の分析論を扱う授業を受講しており、そのなかでジブリ作品について学ぶ機会がありました。

私自身、ジブリ作品が大好きで特に『天空の城ラピュタ(1986年公開)』『となりのトトロ(1988年公開)』『魔女の宅急便(1989年公開)』『風立ちぬ(2013年公開』がお気に入りです。
…とはいえ他の作品も全て素晴らしく、どれも捨てがたいですが…
この時に講演会や講義を通して初めて知った「なるほど‼」がたくさんありました。

前回お話した『魔女の宅急便』と「言葉」の関連性もそのひとつです。


今回もそんな、なるほど‼と感動したことをいくつかお話したいと思います。



宮崎駿監督と「飛ぶもの」

宮崎駿監督作品といえば、どの作品にも飛行物体が出てくることが特徴のひとつとして挙げられます。

例えば、『天空の城ラピュタ』には
・不思議な力を持つブルーの「飛行石」
・政府の「飛行船」
・海賊の「飛行船」
・海賊の飛行船に繋げられた「見張り台」
・空中の浮き島「ラピュタ」
・主人公の少年パズーと少女シータがラピュタから脱出する際に使った「グライダー」
など、多くの飛行物体が登場します。

鈴木敏夫氏は講演の中で、宮崎駿監督について「第一次世界大戦の飛行機は好きだが、第二次世界大戦の飛行機は好きではない」といった主旨の話をされていました。
その理由は「デザイン性」の違いにある、とのことでした。

第一次世界大戦の飛行機には「デザインの美しさ」があるが、第二次世界大戦の飛行機はそれがなく、「殺人マシーン」と化してしまったと。
つまり、同じ戦闘機といってもそのデザインに人間味があるかないか、という大きな違いを感じており、それが作品の中で表現されている‼とのことでした。

© 1986 Studio Ghibli
画像引用元:https://www.ghibli.jp/works/laputa/

『千と千尋の神隠し』のふたつの世界

そのお話を聞いて、大学院の講義の中で学んだ『千と千尋の神隠し(2001年公開)』の分析論が繋がってきました‼

『千と千尋の神隠し』のストーリーでは、銭湯「油屋」の経営者である老魔女「湯婆婆(ゆばーば)」と、その双子の姉「銭婆(ぜにーば)」が、ふたつの対照的な世界のボス的存在として描かれています。

湯婆婆は油屋の最上階に洋風の自宅を構え、経営者としての気合十分、階下の従業員をこき使っています。
強欲で横柄で、神秘的な力で悪事を働き、時々、鳥の姿になって空高く飛んでいきます。

銭婆は寂びれた田舎で暮らし、穏やかで優しく、面倒見のよい魔女です。
一方、自分に対して害を及ぼす者に対しては魔力を使って仕打ちをします。
時には紙飛行機の姿になって低空飛行をします。

これって、何かを象徴しているように思えませんか??

湯婆婆を中心とした世界は近代化した社会を表し、銭婆を中心とした世界は近代化以前の社会を表しています。

精神分析学の観点で宮崎駿監督の作品を分析すると
「高い所=産業化した世界=悪の象徴」であり
「低い所=産業化する前の世界=善」を表します。

湯婆婆の経営する油屋は、外観は昔ながらの和風様式ですが、中はコンクリート造りでボイラー室やエレベーター、湯婆婆の洋風の邸宅といった近代化した世界が広がっています。

「労働」を強要され、「名前」を奪われ、自分のアイデンティを失った千尋は物語の登場人物であるカオナシに象徴されるように、近代化した世界の特徴である「匿名性」を表します。

© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
画像引用元:https://www.ghibli.jp/works/chihiro/


産業化、つまり機械化された世界では、高い地位にいる者が設備の整った快適な場所から、名前も分からない下層の大多数の人々を見下ろしている。
ひょっとしたら同じ人間と認識せず、自身の強欲のために、時には傲慢に都合よく使う。そういった近代の悪の象徴です。

対照的に銭婆の暮らす寂れた田舎は、産業化以前の世界を象徴します。
銭婆は低地で暮らす、穏やかで優しい性格の持ち主です。
しかしながら一方で銭婆は、自身に害を及ぼす者には容赦ない仕打ちをします。

つまり銭婆は、近代化以前にあちこちに存在していた「自然」を象徴しているのではないでしょうか。
人間が自然を愛でながら、自然と共存する世界では、自然は恵みをもたらします。
人間による身勝手な自然破壊は、結局は人間にとって災いとなって返ってきます。

また、銭婆の面倒見のよさは匿名性と対照的に、ひとりひとりを「個」として大切にする、いわば農村社会のようなイメージを象徴しているように思えます。

宮崎駿監督の「マスターイメージ」

そこで、『天空の城ラピュタ』に登場する「飛行物体」に話を戻すと

【悪人の乗り物】
・高い所を飛ぶ機械化された、政府の「飛行船」
・海賊の「飛行船」

これらは、時には銃撃や爆破による攻撃をします。

【善人の持ち物や乗り物】
・不思議な力を持つブルーの「飛行石」
・海賊の飛行船に繋げられた「見張り台」
・主人公の少年パズーと少女シータがラピュタから脱出する際に使った「グライダー」

これらは、自然や自然を超えた神秘的な力、人の手によって人力的に作られた飛行物です。無害であり、さらに人を守る存在です。

© 1986 Studio Ghibli
画像引用元:https://www.ghibli.jp/works/laputa/

地上の世界は自然に溢れている一方、空中では戦闘が繰り広げられています。

『千と千尋の神隠し』の中で、空高く飛んでいく鳥に変身した湯婆婆は悪、紙飛行機の姿で低空飛行する銭婆は善的な存在であることにも結び付きますね。

このような象徴を踏まえると、宮崎駿監督のマスターイメージは飛行物体と自然にあるように感じられます。

「マスターイメージ」とは、意識的であろうが無意識であろうが、何らかの創作者ひとりひとりが持っているもので、創作者それぞれの作品に共通してみられる「〇〇ぽさ」のことです。
映画でも、漫画でも、ファッションでも、音楽や絵画…どんな分野の作品でも、「この作品は〇〇が作ったっぽい」とか「このデザインは〇〇ブランドっぽい」と感じることはありませんか。
その「〇〇ぽさ」「〇〇らしさ」が、マスターイメージと呼ばれるものです。

このような視点を持って、宮崎駿監督作品を鑑賞してみると新たな発見があるかもしれませんね。

ところで、空中の浮き島「ラピュタ」は、イギリス小説の始まりと言われる作品のひとつ『ガリヴァー旅行記』(1735)に描かれた「ラピュータ」という浮き島がその名称の起源です。
『ガリヴァー旅行記』は、アイルランドの作家ジョナサン・スウィフトによって書かれた風刺小説です。

スウィフトはこの小説の中で、イギリスに対する批判を風刺にしました。
ラピュータの章では「イギリスにおける科学の追求」が批判対象のひとつでした。
イギリスで産業革命が始まり機械化していく社会を、ラピュータに見立てたのです。

『天空の城ラピュタ』に登場する「ラピュタ」と『ガリヴァー旅行記』に描かれた「ラピュータ」との関連性は、名称の借用以外には語られていません。

しかしながら…

空に浮かぶ架空の浮島「天空の城ラピュタ」。
そこには、かつて人の手が加えられた面影を残す自然や、人工物であり戦闘能力がほぼ失われたロボット兵の生き残りや、巨人兵の残骸のある荒れ果てた廃墟といった光景が広がっています。
この光景は、産業化の成れの果ての姿…第3の世界なのかな、と私は感じています。

生き残ったロボット兵や、廃墟ながらも美しい自然が穏やかに存在し、小さな花が咲き、小動物がいる、そういった姿は「自然の再生力や力強さ」の象徴に思えます。

ところで、マスターイメージは作品の中核を成す大切なものですが、宮崎駿監督作品の魅力はそれだけには留まりません‼

例えば『崖の上のポニョ(2008年公開)』の登場人物であるグランマンマーレ(主人公・ポニョの母)は、ラファエル前派兄弟団の主要メンバーであった画家ジョン・エヴァレット・ミレイ作の『オフィーリア』をモデルにしています。

ミレイ作『オフィーリア』(1851-2)
画像引用元:https://www.tate.org.uk/art/artworks/millais-ophelia-n01506

宮崎駿監督は、漱石の小説『草枕』の中で描写されたミレイ作のオフィーリアを観るためにイギリスへ足を運び、作品に感銘を受けたそうです。
漱石はイギリス留学中にオフィーリアを目にし、感動のあまり草枕の中でオフィーリアの描写に至りました。

その他にも『崖の上のポニョ』には、宮崎駿監督の夏目漱石への敬愛が複数見られます。

というわけで、次回は漱石の小説と絵画について少しお話したいと思います。

関連記事一覧