19世紀末の芸術に魅了されすぎたら世界が広がった☆the decadence☆ Vol.8【堕ちた女と絵画「みつかって」編】

皆さん、こんにちは。
皆さんはどんな形で自己表現をするのが好きですか。
今だとコスプレが自己表現のひとつとして日々SNSに写真がアップされていますね。
中には衣装制作、ヘアメイク、撮影をすべて自分で行い、写真が芸術の域に達しているすごすぎるコスプレイヤーさんもいます。
私は自分の世界観を写真で表現することが大好きです。
半年ほど前から衣装のリメイク、ヘアメイク、撮影を芸術の域を目指して自分で楽しんでいます。
2017年からモデル活動を行っていますが、その中で「ファム・ファタル」をテーマに作品撮りしたものがあります。

自分のイメージする「ファム・ファタル」のイメージです。
「ファム・ファタル」をテーマとした作品撮りは色々挑戦してみたいと思いますが、「堕ちた女」をテーマとするなら、写真ではなく、小説を書いてみたい。
なぜかそう思います。
Famme Fatale 2019
Model&Styling: keito
Photo&Styling: Taku.N
©Taku.N

「ファム・ファタル」とは異次元の魅力が「堕ちた女」にはあるのかもしれませんね。
前回は海の精セイレーンを例に、「ファム・ファタル」についてお話しました。
「ファム・ファタル」についてのお話は尽きないのですが、今回はファム・ファタルを語るに欠かせない「堕ちた女」について、イギリス画家ダンテ・ゲイブリル・ロゼッティ作の「みつかって」を一例にお話したいと思います。

堕ちた女とは?

「堕ちた女/fallen woman」とは、当時の倫理観から外れた行為、つまり、結婚前に純潔を失ったり、結婚後に不貞行為を行ったり、または不法行為などを働いた女性を意味します。
一旦堕ちてしまうと、這い上がろうとしても社会的に認められないのが常でした。
「堕ちた女」をテーマにした絵画は「ファム・ファタル」のそれよりもずっと少ないのですが、小説ではよく扱われるテーマです。
「堕ちた女」の源流は、旧約聖書聖書の「エデンの園」で「禁断の果実」をアダムとイヴが食したことによって「純潔」を失い、「堕落」したという物語にあると言われています。

堕ちた女と「みつかって」

「堕ちた女」をテーマとした絵画といえば、ロゼッティ作の未完の作品「みつかって/found」が著名な絵画のひとつです。
ロゼッティはラファエル前派兄弟団の主導者であり、唯美主義の第一人者としても知られています。

かつての恋人同士の偶然の再会の場面ですが、男女とも全然嬉しそうではなく、絶望感が見られます。
女性は絶望的な表情、男性の顔には困惑が見られます。

Found,1865/下絵
1869-(未完)
Dante Gabriel Rossetti
油彩 デラウェア美術館
※制作年に関して諸説あり。当データは本作品所蔵美術館公式サイトの記載情報に基づく
※画像はDelaware Art Museumより引用させていただきました

田舎で暮らしていた少女が都会に憧れ上京したものの、結局娼婦になり、その姿を元恋人に見つかる光景が描かれている、というのが一般的解釈です。
「白い子牛」は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで理想とされた女性像を表しています。
無垢で純潔な少女、不貞を犯さない妻、倫理観から外れた言動をしない女性のイメージです。
女性が元恋人(異性)に外で姿を見られることさえも、当時の倫理観から逸脱した行為でした。
女性が家の外で男性に目撃される、というのは娼婦である証でした。

「みつかって」の解説を書いた手紙

「みつかって」はロゼッティの作品には稀有な社会的テーマを扱った絵画です。
彼がラファエル前派兄弟団のメンバーのひとりである画家のホルマン・ハントに送った手紙が残されているのでざっくり紹介したいと思います。

『まだ橋に街灯が灯る夜明け頃、ロンドンの通りで荷馬車を引いた農夫が、通りをさまよいながら目の前を通り過ぎた少女を見かけ、捕まえた。彼女は、彼を見て昔の恋人だと分かり、自ら犯した罪悪感から、教会の壁に崩れ落ちる。彼は立ったまま彼女の両手を捕らえたままでいた。彼は、彼女の堕落に対する戸惑いとこれ以上彼女が汚れていくのをやめさせたいという感情の狭間にいた。道の真ん中に置いたままの荷馬車に載せられた白い子牛は無垢で純潔である象徴である』
引用元:http://www.victorianweb.org/painting/dgr/paintings/11.html

絵画についての解説を作者自ら文字にし、仲間の画家に送るという行為は珍しいなあと思い、紹介させていただきました。
ひょっとしたら、ロゼッティ自身、倫理観をテーマとした作品を創作することが非常に稀だったため、「ねえねえ聞いてよ~」と話したくなったのな、と勝手に憶測してしまいました。

しかしながら、ロゼッティはヴィクトリア朝当時の倫理観を肯定していたわけではありません。
むしろロゼッティは、その暮らしぶりも、女性関係をめぐっても、社会的規範から外れたところにいました。
これについては次回お話したいと思います。

関連記事一覧