薫るような絵画。モネ「睡蓮」

薫るような絵画。モネ「睡蓮」

世界的に有名な西洋画家の一人といえば、クロード・モネです。
モネといえば、「睡蓮」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

私もその一人です。印象派の絵画が昔から大好きな私にとって、フランスで巨匠モネの傑作を間近で見られるのは夢のようなひととき。
モネの作品を見ていると、リアルな自然の中にいるような感覚になり、本当に心から癒されるんです。アートのチカラは素晴らしいですね。

さて彼は自然の中で輝く外光の美しさに強く惹かれ、その探求と表現に生涯を捧げました。
特に「睡蓮」をテーマにした絵画は200点以上も残したそうですよ。

その中でも晩年の大作と呼ばれる巨大な「睡蓮」が、パリ・オランジュリー美術館に展示されています。

今回は、“光の画家”と呼ばれたモネの想いがぎっしり詰まった、「睡蓮」の魅力をご紹介したいと思います!



モネ「睡蓮」の始まり

印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネ。
たくさんの作品を残した巨匠ですが、「睡蓮」を描き続けた人物としても有名です。

大のモネファンの私。彼に対して最初に思ったのは、なぜ「睡蓮」にそこまで魅せられたのか?という素朴な疑問でした。

以前、パリ北西部にある美しい村、ジヴェルニーを訪れた時のことです。
人口約500人ほどの小さな村なのですが、ここにはモネが終の棲家として選んだ家と庭園がそのまま残されていました。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」
ここでなぜモネが「睡蓮」を200点以上も描いたのか、しっかりと納得することができたのです。

最愛の妻を若くして亡くし、さらにはパトロンにも夜逃げされ、青年期のモネは困窮していたそうです。残された子供たちのため、そして生活を立て倒すためにも、パリ近郊から離れた家族で長く暮らせる場所を探していました。

パリとノルマンディーの中間にある村、ジヴェルニーを電車で通りかかった時、モネはこの村の美しさに一目ぼれ。まもなく移住を決意します。

3年後、ニューヨークで開かれた展示会にてモネの作品は高い評価を得て、この頃から経済的に安定するようになりました。
そして画家として地位を確立したモネは、自宅に専属の庭師を10人も雇い、お気に入りの庭園を造らせたそうです。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」
ジヴェルニーのモネの邸宅内にある、実際の「水の庭」では牧歌的な風景を堪能することができます。池に浮かぶ睡蓮、反射する太陽の光、柳が揺れ動くさまなど、夢のように美しい場所です。

自宅の庭園でたくさんのインスピレーションを受けたのでしょう。
ジヴェルニーに移り住んだ43歳から没年まで、実に多くの作品を残し「印象派の父巨匠」と呼ばれるようになっていました。

この場所は、モネにとって幸せを運んでくれたパワースポットだったのでしょうね。

光の差し込むオランジュリー美術館

パリ中心部にあるオランジュリー美術館。1927年、モネが連作の睡蓮を描くため、「自然の光が差し込むような明るいパノラマの展示室を作ってほしい」との要望により建てられました。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」
「睡蓮」は、10年の年月をかけて描かれ、第一次世界大戦の終戦翌日に平和のシンボルとして国に寄贈された作品です。

それは、自宅の「水の庭」に浮かぶ睡蓮や、自然光などモネが好んだ題材を詰め込んだもの。
時間や季節によってその姿が変わることで、「物事が変化する移ろい」「過ぎゆく時間」という、彼が求めたテーマをしっかりと見出すことができます。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」
オランジュリー美術館は、異なるパネルを組み合わせて制作した、8枚の「睡蓮」の作品を所蔵しています。
これらの作品の高さは全て等しく(1.97m)、二つの楕円形の部屋の壁に展示されています。

デッサンも境界線もない「睡蓮」

「睡蓮」はもともと、楕円曲線で展示されることを予定していました。
絵画は「平面」で鑑賞するもの、という固定概念を払拭したのです。実際、オランジュリー美術館は部屋の仕切りがなく、方向性を掴むための立ち位置も存在しません。モネは遠近法やデッサンをも禁じました。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」
鑑賞する人が自分で自由に「睡蓮」を捉えることができるのが、他の美術館と一線を画すところです。

実際に広い楕円形の展示室を歩きながら、視点を移動させつつ「睡蓮」を鑑賞していると、どんどん引き込まれていきます。
このように絵に囲まれることで、まるで絵の中に入り込んでしまったかのような身体的経験を味わえるのです。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」
これは、ルーブル美術館やオルセー美術館など巨大美術館では経験できなかったことです。
オランジュリー美術館はとても小さな規模なのですが、深く濃厚な時間を過ごすことができました。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」
晩年には白内障を患ってしまうモネですが、死を悟ったかのように「睡蓮」の製作に没頭し続けました。

そして86歳のときに、モネはこの大作「睡蓮」を最後に息を引き取ります。
オランジュリー美術館に佇むその遺作は、今でも多くの美術ファンや観光客から愛される存在として輝き続けています。
薫るような絵画。モネ「睡蓮」

その他の印象派の作品も

オランジュリー美術館では、モネの他にルノワール、セザンヌ、ピカソ、マティス、モディリアーニなど、印象派とポスト印象派の作品も展示されています。

薫るような絵画。モネ「睡蓮」

同じく印象派の巨匠・ルノワール「二人の少女の肖像画」

薫るような絵画。モネ「睡蓮」

色彩の魔術師・マティス「布をかけて横たわる裸婦」

薫るような絵画。モネ「睡蓮」

静物画の天才・セザンヌ「果物、タオル、ミルク瓶」

これらの多くは、天才画商ポール・ギヨームのコレクションと呼ばれ、彼の収集した作品は国へと寄付されました。(オランジュリーは国立美術館。)

「睡蓮」に魅せられて

貧しい生活を送り続け、苦労を重ねてきたモネ。
印象派の先駆けとしてその名声を手に入れながらも、結果的に彼の心を動かしたのは、贅沢な暮らしや毎晩のように開催されているパーティーではありませんでした。

モネが一番大切にしたもの、それは自宅にある庭園の、睡蓮の池の風景だったのです。

一日として同じ風景がない水面の世界。次の瞬間には変わってしまう姿を少しでもキャンバスの上に残したいと、最後まで描き続けたそうです。

オランジュリー美術館では、そんな「睡蓮」の中からジヴェルニーのそよ風が薫ってくるような気がしました。

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