短編集「思い出トランプ」向田邦子著
20代の頃、新春に放送される(再放送かもしれません)向田邦子原案、久世光彦脚本のドラマが大好きでした。
田中裕子さんや加藤治子さん、小林薫さんなどが出演されていたと思います。
父親はいないことが多く、母親と姉妹の静かで穏やかな生活にある日一人の男性が関わるようになり、日常が緩やかに変化してゆく、というような筋書きが多かったように思います。
ドラマの中のお母さんはいつも着物を着ていて、古き良き昭和の香り画面から漂い、何とも言えない郷愁を感じ、その世界観にどっぷりはまってしまいました。
それがきっかけで向田邦子さんの作品をむさぼるように買い集め読んでいました。
今回はその中から短編集「思い出トランプ」をご紹介します。
ではあらすじを簡単に。
厚かましいけど憎めない、ずるそうだが目が離せないかわうそのような女性。(かわうそ)
50歳の社長は20歳の愛人に与えたマンションまでの坂道を「そういう身分になれた」と誇らしい気持ちでだらだらとゆっくり昇っていく。(だらだら坂)
祖母の教えで3日に一度、包丁を研ぐ主婦は誤って息子の指を切り落してしまう。(大根の月)
誰もが持ちつつも決して表には出さない、見せない人間の弱さや脆さ、狡さやうしろめたさを日常生活に織り交ぜた13篇の短編集です。
この短編集の中の「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」は雑誌連載中で書籍化されていないにも関わらず、1980年に第83回直木賞を受賞しました。
異例の事だったようですよ。
しかも、テレビ脚本家でエッセイも執筆していたけれど小説はこの作品が初めてとのことです。
しかし、受賞からわずか1年後の1981年(昭和56年)8月22日、取材旅行中の台湾で飛行機事故により急逝されました。享年51歳でした。
初めてこの作品に出合ったのは前出の通り20代半ばくらいでした。
読後は、何とも言えない人間の業のようなものを垣間見た気がして、少し怖かったことを思い出します。
たとえば、初めて訪れた親しい友人の家の匂いに、自分の家にはない異質な物を感じてしまったような感じかな?
伝わりますか?
とはいえ、きれいな日本語でバッサリと切り取られる日常の風景は、匂いまで漂って来るような感覚を覚えます。
頭の中で映像として鮮やかに浮かび上がってくるほどの表現の豊かさは向田邦子さん独自のものだと思います。
例えば「大根の月」。
主人公は昼間に見える薄っすらと少し欠けた月を見ると、大根の薄切りを失敗し、厳しい母親に怒られるのが嫌でこっそり食べていた少女時代を思い浮かべます。
この短編は自分が研いだよく切れる包丁で、誤って自分の息子の指を切り落としてしまった女性の話なのですが、話の内容はぼんやりとしか覚えていなくても、昼間の月を見るたび
「あ、大根の月だ」
と、私の中にある記憶を呼び起こすのです。
ところで、短編集のタイトルである「思い出トランプ」。
作品の中にはありません。
トランプには表と裏があるように、表はどこにでもいる普通の人々の生活が描かれ、裏では人には見せない秘めたものが描かれています。
13篇の短編をトランプになぞらえ、シャッフルしたという意味が込められているようですよ。
タイトルも向田邦子さんらしさが溢れています。
誰もが持つ弱い部分を冷静に鋭く書いている作品ですが、だからこそ人は愛おしい存在だということも伝わってきます。
表も裏も経験し内面に秘めることをひとつやふたつ(で済むかしら?笑)持っている大人の女性なら、共感できる思いが詰まっているのではないでしょうか。
嫌な部分を覗き見してしまったような気持ちにもなりますが、読後は不思議と不快感がなく「良い作品に出合えた」という満足感と余韻に浸れる作品です。
思い出トランプ
著者:向田邦子
出版社:新潮社
発行:1983年5月
※画像はAmazonより引用しました。